A級Missing Link/人間不老不死なら全て解決

場所はウイングフィールド。楽日に見る。あまり気付かなかったのだが、今年でウイングフィールドは15周年を迎えるらしい。企画名は、「時代を拓く演劇人」。こんな字を書かれたら、どうしたって自分の名前を思い出さずにはいられないじゃないか。地のフロンティアはとうの昔に消滅してしまったが、時のフロンティアは開拓し続ける事が出来るのだろう。そう信じたい。

さて、本番。観劇中、ずっと膜を感じる。それは、役者の口元と外気との間の膜であったり、お芝居全体を包んでいる膜であったり。まず前者の膜から言うと、A級の役者さんは全く唾を飛ばさない事に気付いた。これは、前回公演を見た時も気付いていた事なのだが、やっぱり唾を飛ばさない。何故だろう。意図的なのだろうか。別に飛ばせって訳じゃないけれど、余りに唾を飲み込んだ喋り方をしていては、どうしたって滑舌は悪くなるばかり。実際、今回の公演では、特にゴスロリの格好をした女優(高依ナヲミ)のセリフがとても小難しげで(あれだけのセリフを貰える嬉しさひとしおだろう)、数回悲しいぐらいの頭真っ白になってセリフを噛んだ。ああいった場合、突然全体を包む膜は破れるのだけれど、その噛んだ事に関して誰も何も無かったかのように対処していた。あれは、少し残念。(僕個人は高依ナヲミという女優さんは好きで、前回公演の時は初見にも関わらず公演終了後思わず挨拶しに行ってしまった。今回の役も面白く、彼女自身の魅力をお伝えするには余りある役柄だったと想う。歌も上手かったし、技術的な引き出しの多さも確認出来た。てか、あの人は目がでかい。)ちょっと話が前後するが、とにかくA級の役者さんは唾を飛ばさない。それは、つまり、演技に熱が無いって事。基本的に冷めている。特に主役級の位置にいたレズっぽい演技(誉め言葉です)の二人の女優の冷め方ったら無い。何をそんなに思い詰めた末の境地にいるのか。あれだけ冷められると、ふとした瞬間のちょっとした感情の発露が有効打になる。恐らく、演出の策略だろう。熱っぽい演技をさせない事による、役者エネルギーの隠蔽。彫刻の世界で言えば、これは「塑」の技法だ。足すのでなく、引く。しかし、その引き方、つまりは膜の張り方に、少し説得力が無い。物語レベルでは、吸引力があるので、しばし役者エネルギーの事などどうでも良くなるのだが、もっとうすーく丁寧に膜を張った方が、役者も舞台空気全体も、もっと説得力が出てくると想う。(しかし、これもお客さんの好みであって、緩い身体性を持った役者に好感を抱く人もいるのだろう。つまり、それは、付け入る隙がある演技だ。同人誌に見られるような亜流の二次生産がオタクを育んだのと少し似ているが、それとはちょっとだけ違う方法で、付け入る隙のあるモノ(総じてカワイイで形容)は、なんだかんだで愛されるという話。)
と、まぁ、ここまで偉そうに書いてきたけれど、僕は今回の公演をとても楽しませて頂いた。というか、A級さんにはとても期待をしている。今後ももっと観て行きたいと想っている。膜を敢えて貼る事は、物語を信じているという事、作品を丁寧に紡いでいくと言う事だろう。実際、僕がFrance_pan公演のPPTで土橋さんをお呼びした時、新しいものが可能かどうかって話をしたのだった。土橋さんは、どちらにも納得が出来ると断りを入れながらも、こう呟いている。
「たしかに新しいことって本当に可能なのかなって思うんですよね。」

人間不老不死なら全て解決というタイトルの中に、ささやかな、ささやかすぎる祈りが皮肉とともに込められている。その祈りの声は、舞台上でも微かに聞こえた。そんな気がした。

追記:大事な事を書き忘れた。今回客演で出ていた南田吉信(劇団大阪新撰組)さんの演技は古典的だったが、作り込みが半端無く、どうかと想うぐらい笑いを取っていたのだ。僕も思わず心から笑ってしまう箇所が幾つも有り、本当に感心した。アフリカ帰りの男を演じていたのだが、なんと言うか、本当にバカじゃなかろうか。コメディやるのであれば、あれぐらいの演技力は欲しい。それに比べて、僕が知っている気軽なコメディを標榜する劇団の役者の演技は、お遊戯でしかない。あの辺の人は、南田吉信氏の姿を見習うべきだ。あのように神々しいバカな役者が一人居るだけで、舞台は本当に華やぐ。とても素晴らしい演技だった。