旧劇団スカイフィッシュ/森谷修治

さて、精華演劇祭Vol.6一発目はじまった。僕のとこのPPTにも来て貰うので観に行く。演出の小嶋氏はうちの芝居を見たことがあるらしい。以下軽い感想。ハードコアなイメージかと想ったら、意外にそうではなく、おちゃらけな感じも結構あった。いや、良い意味で。本が面白いと聞いていたのだが、確かに本面白かった。演出と作家は違う人らしい。なるほど。3人芝居なのだが、凄く3人で、いや正確には2人芝居、で引っ張っていった。現代口語演劇で、チェルフィッチュの影響の話がやはり出る。凄いな、岡田さんパワー。しかし小嶋氏は「いや、漫談なので。。。」。面白かった。終演後、ぷち打上に参加。小嶋氏の気さくさに驚いた。開口一番、「スペアー(フラパンの前回の作品)のあの部分は面白かった。あそこは要らないと想った」とざくり。大層驚いたのだ。PPT、どうなるのだろう。ざくっといかれたら嫌だぞ、おい。以下普通に感想。

小嶋氏のパンフレットの言葉をまず引く。『読者(観客)は好き勝手にビジュアルを想像させた方が楽しいのです、きっと。』脚本が面白く、物語をひっぱる力がとてもある。だから、受け手はそれを想像していける。小説をテープで音読されているような。ラジオのような。しかし、舞台芸術である以上、演出は、私は少し軽いなーと想ったのだけれど、受け手の想像力が入っていける余地を敢えて残していたのかもしれない。私が疑問だったのは、そのコトバの想像力とあそこが精華小劇場なんだよという現実性と、どの辺でバランスとっているのだろうって所。コトバ自体、例えば「そこに女の幽霊がいて僕を見ている」と語るとする。で、最初受け手は「あ、そう」としか思えない。だが、ずっとその役者が継続的にその話をする。「その幽霊は〜〜で、そして〜〜で」と。否が応でも見えないものを見ようとする。実際、舞台上の役者にはそれが見えているらしいのだ。その「見えているらしい」感じがとてもよくって、それに騙されてついつい受け手も見えて無いものを見ようとする。それで空気が成立する。それは素敵な空間になっていた。しかし、問題は現実面で。あれはやはり精華の椅子であり、あそこはやはり作ったパネルなのだ。その辺を何処まで弄るのか、CGではないが、どう騙すのか。そこを僕はん〜と想ってみていた。騙し方が、「はい私騙してます」だったのが、お客さんとの距離を縮めていたのだと想うが。ラストでは、それが無くなって演劇するんだけれども。ま、それは好みか。舞台、明暗を多用していたが、もしあれを完全に真っ暗のままやっても成立するだろうなって想った。それが良いのか悪いのかよく判らないけれど、暗闇でも成立しうると思った。舞台上には辛うじてギリギリのイメージが散らばっていて、僕らはセリフと役者で愉しんでいる感じ。見ていて、小嶋氏のこだわりが恐らくある一点にのみ集中しているから、物語が回っていくんだろうなって想った。演出の意識が散逸になっていない。一ヶ所に、恐らく物語に役者を生かす事にかなり重点を置いたのだろう。『頭の中で好き勝手にビジュアルを』という小嶋氏の言葉が潔い。役者さん、凄く頑張っていた。男女ともに、ちゃんと観客をひっぱっている。前半を我慢すると、中盤ピンサロの話の場面がとても面白かった。作家さんは東京の人らしい。失恋したあと駆けつけた歌舞伎町のヘルスを思い出しました。

と色々殴り書いてしまいました。もちっと丁寧に語れればよかった。ま、いいや。とりあえず新しいもの好きの人にお勧めです。ちなみに、「前向きな死に方」小嶋氏とのPPTは3月9日です。