週6で京都にいます。

NPO劇研に勤め始めて、僕は左京西部いきいき市民活動センターによくいます。出町柳から徒歩10分ぐらいの所です。前の職(日本橋)はやめちゃったので、週6ぐらいで京都にいます。定期券もさすがに持っていて、電車賃が半端無いです。通勤タイムは読書するか寝る時間になっています。河原町からおんぼろ自転車で勤務先までいっていて、鴨川沿いを北上するのは、とても気持ちがいいです。体重も減ってくるような予感があってうれしいです。でもうれしいと酒を飲むので、結局同じ気もします。

▼大阪からどんどん離れていく感じで、個人的には今の状況をおもしろがっています。京都の演劇人とふれあう機会が、今まで以上に多くなっています。僕は大阪の若い人たちのことをよく知らない(と思う)ので比較はあんまりできないのだけれど、京都の若い人たち(特に高田ひとし周辺とか)には、とても面白い、元気のよい、意欲のある、向上心もある、責任感もある、すばらしい俳優の卵みたいな人がいます。エンターテイニングな芝居にも出れば、現代演劇にも手を伸ばす、とてもバランス感覚が優れている人たちだな、と思いました。聞くところによると、学生劇団出身である確率が高くて、世代世代でかっこいい背中を見せてくれた諸先輩たちがいるようです。かっこいい背中は、新たなかっこいい背中予備軍をつくっていくものだと、改めて思いました。昨日、高田君の芝居に出ていた若い人たちにいろいろ聞いたところ、「物語には飽きているから、こういった作品に今は興味がある」とか「旗揚げでは無く、既にある劇団に所属して学ぶことから始めようとおもった」とか「今回の僕の役割は一つのキャラクターを演じるのではなく、ある種の因果律を演じているんだと思います」などなど、大変しっかりした意見を持った人が多くて、本当に驚きました。大阪の若い人は、こういった意見を持っているのでしょうか。とても気になります。そして蛸壺ってのを、オーサカをとらえる一つのキーワードにしても面白いだろう、というのは三田村君のとまる。第一回目の投稿で思ったことです。あれを読んだ人でそう思った人は多くいるんじゃないでしょうか。そんなこと全く思わない人とか、興味の無い人に、もっともっと蛸壺論が流行ればいいのに。でも、抽象的な話だけではなく具体例を挙げることが大事なので、今後はもうちょっと具体例を挙げて欲しいという要望もなぜかここに書いてみます。

▼で、もし僕が何となく大阪と京都を比較する具体例を一つ出すとすれば、京都舞台芸術協会プロデュースでやる作品が、脚本:山岡さん(魚灯)、演出:柳沼さん(烏丸ストロークロック)なのに対して、先日大阪現代舞台芸術協会がやった作品が、脚本:北村想、演出:深津さん(桃園会)だったということです。京都の演出補佐には、dotsの桑折さんが入っています。DIVEの演出補佐には、空の駅舎の賢司さんと虚空旅団の高橋さん。創作にあたって、〜組って考え方があるので、いつも一緒にやる人との共同作業の方が遥かに効率が良いことはわかるのですが、やはりDIVEプロデュース作品に若手の演劇人が何らかの形で、演出部の方に関わっていた方がよかったんじゃないかと、強く思います。それで作品が変わる変わらないって話じゃなくて、そういった機会を無理矢理でも与える(そう、ムリヤリは大阪を今後豊かにするキーワードだと個人的には思う!)ことが、協会を全体的にやんわりと活性化させるのに必要なんだと思います。まぁ、時期の問題とかいろいろあって、若手の起用ができなかったというパターンもあるので、真実はわかりませんし何ともいえませんが、ちょっと勿体なかったなぁという気持ちはやはり残ります。これは、総会とか意見交流会があったら言おうと思いますし、ここに書けば、理事の誰かはきっと見てることでしょう。もし僕と同じように思った人がいれば、是非声を上げて欲しいと思います。

▼こんな感じで、勝手気ままに、京都と大阪で何が違うのかって考えながら、多分僕は週6も京都にいたりします。引っ越せばいーじゃんという意見も聞きますが、個人的にはしばらく吹田と京都の往復が続きます。