弟の誕生日である

▼特に書く事が無いが、そういえば弟の誕生日である。という事を書いておきたいと思った。真生と書いて、まおと呼ぶ。高校生になるらしい。年の差が非常に離れている弟だこと。

▼弟の事を書こうとするときに、いつも何かつっかえてしまうのは、おそらくその事を書く事で、同情されたりするのがめちゃくちゃ鬱陶しいと考えているからだ。しかし、そう思っている僕の方が、ある意味で何か固定的な観念にとらわれているのかもしれない。「家族っぽい時間」という作品で描いた通り、僕の弟はリアルに障害児というカテゴリーに入る人で、ダウン症っていうらしんだけれど、僕はあまりそういった事を詳しく知ろうとしなかったし、今でも詳しく知ろうとしていない。それを特に悪い事だとも思っていない。基本的な事項は知っておくべきだけれど、ダウンだから〜が出来ないとか、ダウンだから〜が優れているといった見方はあまりしたくないと思い続けてきた。

▼うちの家族は、うちの中でずいぶんと楽しむ事が出来る人たちばかりなので、社会との接点がちょっと少ないんじゃないかなぁ、と思う事はしばしばあったけれど、大学生に入る頃から、これはこれで別に一つの形なんだし良いかと思い始めた。また、妹に美生(みい)が生まれてからは、その子を中心に社会との接点は増えるから、多分大丈夫だろうと身勝手に安心していた。しかし、さすがに弟が高校生にもなると、障害児がどう社会の中で生きていくかみたいな事が懸念事項になってくる。自立できるかどうか、というポイントで弟は見られ始める。僕は30歳にもなって、自立できるか、といったポイントで見られているに違いないから、僕よりも弟の方が、そういう意味では偉いと思う。偉いというか、大変だと思う。本人にその自覚があるかどうかって話もあるけれど、弟にその自覚があろうが無かろうが、僕とかが家族の一員として考えるべき事は、私たちがいま死んだらこのちびどもはどうなるか、ってことだと思う。でも、その事をずっと考え続けて生きられるはずもないから、ちょいちょい忘れて、ちょいちょい思い出しているんだと思うのだけれど、思い出す頻度をあげていき、できれば思い出すだけじゃなくて、何か具体的な行動(たとえそれが、直接的にその人のためになっていないとしても)をとっていきたいと思う。

▼とか、いろいろ深刻ぶって(?)書いてしまったけれど、とにかくおめでとう!という事を言いたかったのと、僕の中学校の時の初恋の人が母校の小学校の障害児クラスを担当しているらしく、真生の事もいろいろと長くからいる先生に聞いているらしく、今度岐阜に帰ってきた時は、僕の気分が乗っていれば絶対に会うと思うので、そのときに真生絡みの話題になると思います、と伝えたかったのです。そういう意味ではありがとうか!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!