最強、笑う、手を差し伸べる感じ

▼「最強の一人芝居フェス」というものに加藤智之が出る。彼とはかれこれ10年以上のつきあいだが、遂に最強にたどり着いたってわけか。私としては、まだ作品は60点だから、これをどう120点にするかどうか。京都かよで観た方も、観ると良いと思う。

▼そう言えば、京都かよの打ち上げ三日目(つまり楽日)にものすごく笑える出来事があった。本当は笑ってはいけないことだが、でも岩崎は凄い。小枝子は凄い。って事がよくわかった。腰が砕けました。

▼そう言えば、16日は維新派ろじ式を観劇。久しぶりの維新派観劇となった。感慨深い。維新派観る前は酒だ酒だ!、と一人で立ち呑みしてたら、精華の人から電話かかってきて「キャンセル扱いになりますよ」と忠告を受けた。残りのビールを一気、鮪の角煮をぱくぱくして、ダッシュで精華に走った。観劇後も少し呑めた。嬉しい。

▼時間が無いので細かくは書かないが、維新派の作品における名詞羅列と、動詞の活用繰り返し箇所と、主に二カ所あるように思うのですが、僕は後者の部分に凄く惹かれる所があって、例えば「もろたん?/もろてん!」(?、!は僕が勝手につけてます)の繰り返しが、よくわかんないけど、泣けてくる。何だろうな、あれは。コトバの魔法。昔、三河弁の女性とお付き合いする機会あって、その時彼女はよく「私○○好きやんかぁ」と、私が全く知らない事を「貴方は知っているでしょうけれども」といった温度で聞いてくる癖があったけれども、あれもよくよく考えると、全然わからないが、ちょっと泣けてくる。コトバの裏というか、狭間というか、後ろっかわと言うか、コトバの日陰というか、そういう所に、他者へちょっと「手を差し伸べる感じ」があるような気がして、なんか泣けてくる。「手を差し伸べる感じ」は、意外にいろんな所に秘められていて、日常的に僕らはそれに気付かないのか、気付かない振りをして、自己防衛しているに過ぎない。のかもしれない。僕は酔うと、結構「手を差し伸べる感じ」になるらしく、素面でももうちょっと手を差しのばさないとなぁ、でもそれは恥ずかしいなぁ、という気持ちがある。何の話かしら、これは。