通した

▼三人芝居、二人芝居、一人芝居を通した。順序は見えてきた。しかし、まだまだやり足りない部分も多い。五人芝居参加の人らが、不安そうな顔してたのが面白い。しかし、1ヶ月ちょいで4作品さすがにきついなぁ。正味、それぞれ1週間ちょい。でも、これだけ味の違う作品を一気に味わえるってのは良いですよ。面白い。Pan_offIce、企画立ててくれてありがとう。って自賛してもしょうがないけど。

▼各作品の作家の人は、稽古場見学を遠慮して頂いたので、逆に本番何を言われるのか楽しみであり怖くもありでも結局楽しみであるって事で結局全部楽しみ。

▼スタッフさんと会議後、立ち飲み。このサイクル、好きです。

▼一人芝居で、今日加藤がミスった所があったのだけれど、やっぱりああいうところで、とてもお客さんと演じ手との距離が縮まって、「何かをやらかしてしまう」って体験/事件を演出家として操作していく事が大事だなぁ、と改めて思った。魅せるのか、見られるのか。一人芝居は、今魅と見の間で苦しんでいる感がある。魅と見でいけば、弄られキャラが見で、超絶技巧は魅で。身体で魅をやるには、とんでもない苦労が必要で、楽器やスポーツやってる人ならそういうのわかりやすいんだろうけれども。だからこそ、魅か見を出すため、俳優には負荷がばしばしかけられて、俳優は台本の指示と演出家の指示と、舞台監督からの指示等によって、がんじがらめにされている。その硬直した場所から這い上がる時に、魅か見かわからない状態のクリエイションが起こる。その狭間を常に狙わないと、本当に俳優は駒になってしまう。硬直から這い上がる力こそが、俳優が駒から脱却して、自転し始めるきっかけだろう。日常的に硬直してる人は、舞台を解放区と感じ自転が上手い。日常をそれなりにこなしている人は、脳内に解放区を作りがちなので、物理的に多めの負荷が必要。そのバランスが良い人が、良い俳優。そんなことを、ちょっと思った。