オープンに

▼今日、アヴァンギャルドチャイナを見る。が、時間が足らず最後の方(特にヒップホップ映像とか)が見れず。悔しい。あんなに美術館をダッシュしたのは初めてだ。走りながら横目で楽しむ現代美術。映画でチェも見たかったが、やめてしまった。しかし、チェのギャガの予告編がどうかと思うほどつまらない。

▼そういえば、2月3日に関西現代演劇俳優賞の受賞式がある。で、思い出したのだが、ってずっと思っているのだが、僕は1年前に、こんな事を書いていた。 http://d.hatena.ne.jp/taku_ito/20080128
でも、まだ一度もちゃんと問い合わせをしていないことに気づいてので、2月3日に直接乗り込んで聞こうかとも思ったけれど、この日は生憎打ち合わせがある日だった(嗚呼、助かった)。いやいや、まぁそれに、受賞式に乗り込んで聞いてしまったら、せっかくのおめでたい時間が完全に盛り下がる。だから、こっそりメールするのが良い。何せ、ODCという変な企画も立ち上げたことだし、2月中にこりゃ一度は問い合わせメールをしてみようと思っている。何でわざわざこんな事を僕がしないといけないのか、全然わからんけど、せめて関西の演劇を何本見た中の俳優賞かを知りたいって思うのですよ。賛同者、いませんでしょうか? あの冠のせいで、損をしている関西在住の俳優は、絶対に多い。

▼諸事情で、公演情報公開遅れておりましてすみません。ま、安部公房作「どれい狩り」をトイガーデンの安武君と二部構成でやるのだけれど、まだちょっとおおっぴらに言え無くって申し訳ない。って言ってるか。隠しているつもりはないのです。著作権の問題も解決しているのです。何をちまちましているのかって言うと、すげー細かい部分です。ゴミの出し方とか、炊き出しとかその辺です。ま、嘘ですが。先日、本條が一瞬BLOGにあげたはずなので、履歴をたどればあるんじゃないかな。俺は、まぁ、そのとき、「勝手にUPするな」って怒っていたのに、ここに書いてる。

▼先日、dracomのリーディング公演を見に行った。制作者以外での中島陸郎の様子を見たかったから。(打ち上げにまたしてもお伺いしてしまった。というか、強引に打ち上げをして貰ったような形になってしまった。でも、筒井さんと楽しく話せました。)後日、出演している宮階さんから台本見せてもらったが、確かにおもしろそうな戯曲だった。で、中島陸郎演劇祭なんだけれど、とにかく名前はすごい。で、一番正当に中島陸郎演劇祭をしているのは、おそらく筒井さんところのdracomだと思う。それは単純に、中島さんの戯曲をやるからって意味で。そのほかの団体は、どう中島さんとリンクしていくのか、どう中島さんの信念とつながっていくのか。僕は不勉強なのと、2004年以降の状況しか知らないので、中島さんを直接知らない。でも、噂を聞くにつけ、なんだかとんでもない人だったのだと想像出来る。特に、dracom公演のPPTでウイングの福本さんから聞いた話などを含めると、一気に中島陸郎像が暖かみを持って広がった。話を聞くにつけ、どんどん会いたくなったりもするのだけれど、今はとても難しい。僕みたいなものが何を語ってもかなり嘘なんだけれど、大事な存在が関西にいたって事はたぶん事実である。大きな存在を越える存在を見出していかないといけない。そういう演劇祭であって欲しい。ARPKKKを応援しています。

▼PCが戻って、CPUがデュアルコアとか言うやつになって、ずいぶん快適に動くようになったのだけれど、あまりに快適に動くので、あまりエロ動画を見る気になれないのだ。エロはやっぱりVHSだ。何となく重たい方が良い。DVDはあまりに画質がきれいで怖いし、VHSの旧ル旧ル感がエロにはあっている。VHS当時は、テープの止まっている位置を「逝った位置」と定めて、ずいぶんと盛り上がったものだ。DVDでは残念ながらそういった盛り上がり方が出来ない。アナログは、触感があった。エロで大事なのは、触感だ。PCの動きが遅いと、「まだ映らない!早くさわりたい!」といった感じがあった。今はすくすく動くので、すくすくさわれる。これじゃだめだ。さわった感じがしない。触るを感じるには、触れないを感じることだ。つまり、触れないってのは、ってこんな事書いていていいのか!!!!たぶんだめだ。書いてから気づいた。これではだめだ。エロい事を書いた次の日に死んだらどうなる。めちゃくちゃ恥ずかしいじゃないか。せめて、なんか難しい事書いてから死んだ方が、作り手っぽいじゃないか。うちの祖父が死んで、祖母は毎晩泣きくれた。しかし、ある日突然その泣きが止まった日がある。それは、祖父の押し入れの奥からイケイケなエロ本を見つけたときだ。もっと早く見つけてれば、そんなに泣きくれる事は無かったのだ。どっちが幸せかわからないけれど、人生とはそういうことだ。誰しも秘密を抱え込んでいる。意外性の無い人生はつまらない。意外性に屈する生き方は、もっとつまらない。