善哉は毎年自分で作る。

▼正月三が日が終ったと思ったら、また私のパソコンの電源がつかなくなった。こういった場合、ノートパソコンであればバッテリィをはずして、電源コードも外し、放電を行った後、改めて電源入れてみる方法があるが、全く改善されない。というか、この私のパソコンは何度故障したら気が済むのか。おかげで、仕事のやる気が落ちる。電源を入れても「ゥーン」といって、画面には何も映らない。電源タップが悪いのだろうか。電源供給が不安定で仕方がないのか。いずれにしても、最悪の三が日明けである。

▼元旦は、金剛山に登って、初日の出を見ようと思ったのだが、なかなかお手軽に金剛山にはいけないらしい。アイゼンが必要とのこと。その代りに荒縄を買えばいけるかも、とのことだったが、ホームセンターに荒縄はなかった。アイゼンの代わりに荒縄という考え方がいいなと思った。「アイゼンと荒縄」。いいタイトルだ。

▼しかし、正月のお笑い番組の多さはなんだろう。笑ってはいけない、はもちろん見たが。板尾の宇宙人がよかった。ベタベタなアナログでファンタジーを表現する方法(Lマガ最終号の演劇人座談会でもファンタジーが出ていたが)は、やっぱり松本人志世代以降に顕著なことだと思う。(ピンク地底人の人とお話した時も、松本人志の話題が上がったことを覚えている。)たとえば、トカゲのおっさんであれ、あのベタベタの表出によって、現実をちょっと温かく不気味に歪める事を可能にした。「これでいいじゃん。ありじゃん。」って感覚。ヴィジュアルバムの巨人が出てくるコントでも、松本人志はアナログの良さを強調していた(記憶がある)。僕らよりもうちょっと前の世代は、アナログを隠そうと、いろいろ頑張ってファンタジーしてたんじゃないか(例えばブリキの自発団?)。今のファンタジーは、大きく括れば「ヘタウマ」で、それは表現がある意味でミニマル化しているんだと思うけど、ミニマル化したことによって、根源的な部分、何が何を表現しうるのか、といった事を考えていけると思う。最小限の表現にいけばいくほど、受け手の深読みが必要になってきたりもするのかもしれないので、その辺は作り手の傲慢にならないように注意が必要だと思うのだけれど、どこまで還元しても、どこかにセンスってのは一本通っているはずで、そのぎりぎりのところで勝負していくのが面白いのだからこそ、もっと振り切ってしまってもいいのではないか、振り切った先に見えるものこそが面白いんじゃないか、と思っている2009年。

▼といった事で、今年もよろしくお願いします。