精密

▼今日は通しをした。美術さんと舞台監督さんが見にきた。その後ミスドで会議。役者へは精密さの指示を出した。角度を求め、ずらすならずらすだけ、その角度を計算してほしいと。出来ぬならずらすな。予測不可能が面白いのは、予測不可能を予測している人がいるからであって、誰しもが予測不可能なことが起こる事は確かに驚きがあるが、毎回それが面白い保障は無い。誰も図ってない角度で攻めてきても、建てた後に曲がってる可能性も高い。角度を戻そうとする俳優がいて、それに気づかぬ俳優がいて。そういった現場、角度を戻そうと冷や汗気味に頑張る役者の姿は、かなり面白かったりする。もちろん僕も角度を誤る事はある。

ジャルジャルのコントを先日見ていたのだが、その時、まだ未見の口笛を吹くコントがあって、その最後にちょっとだけジャルジャルの二人がしゃべってて、そのしゃべってるのが、なんか残念に感じてしまった。でも、そこでは「喋ってあげる」的な感覚があるはずで、ネクストコントジェネレーション、00年代以降のアーティストには、「〜〜してあげる」事を結構よしとしていることがあるんじゃないだろうか。わからないかもしれない事を、わざわざ丁寧に説明するって事は、媚でもなんでもなく、わからなかったかもしれなかったけれど、わかってほしいという意思はあるんですよあったんですよ。といった意味なんだろう。長年喧嘩別れしていた二人が死ぬ間際に、ごめん、と語りかけるようなものか。そう考えれば、丁寧に伝えようとする意思は、尊重してしかるべきかもしれない。関係性の落とし所を言葉にするのか、行為にするのか、血で書かれたメッセージにするのか、ひたすら沈黙するのか。ジャルジャルは、最後に喋り、そして話は落ちた。