母へ一筆も書けない程心が亡くなるとは

▼母の誕生日が11月20日にあった。遅ればせながら何かをあげなければと傍ら必死で思っている。とこんなこと書けば、また電話が鳴るだろう。そして、私はそれを傍ら無視する。母は53になるらしい。

▼ノーベンバーから始まる妙な恋愛映画があったと思うが、あのタイトルにすがりつきたくなるほど11月は忙しい。PCをもっと増やしたい。ハイテクを駆使すればもっと作業は楽になる。しかし人件が足りない。人件費も足りない。本当はFPメンバー全員にPCを一台ずつ贈呈して、光も繋げてあげて、一緒くたになって作業に没頭したいと思う。しかし、残念ながら弊社のPC保持数は非常に少ないし、持っていても繋いでなかったり、不慣れすぎてもう触らない方がいいんじゃないかって状態の人が多い。誰か、贈呈して下さい。買取もします。

青空文庫に久しぶりに訪れた。公開されたのがずいぶん増えた。先日見た芝居の台本も、全部青空文庫へ行けば全部公開されている。自分が高校生の頃文庫でうきうきと購入した著作がコピーライトフリーとなりネット上に公開されている様を見るのは、ちょっと妙な気分がする。こういう時代なのだろうか。外国の翻訳ものの場合、著作者本人(外国の方)が亡くなって50年たっていたとしても、翻訳者の方でまだ著作権が切れていない(権利が切れるってのも、面白い訳語だけれど)場合が多い。なので、たとえば坪内逍遥が翻訳したシェイクスピアはOKでも、福田恆存が翻訳したものはまだ駄目とか、そういったことが起こる。すると、「もっと早く死んでいてくれたら」とか不謹慎なことを考える人も絶対に出てくるだろう。50年を境にして芸術をどうこうする事態が起こる。これは、もうかなり昔からあったことだ。実際、去年のNEWSの記事だが、別役実氏が宮沢賢治を元に戯曲執筆に当たった時のエピソードなどはとても印象深い。

内田樹氏のBLOGはコピーライトフリーで有名だけど、先日すごく著作権を考える上で良い文章があったので、ココにリンクしておきます。