遊劇体/夜叉ヶ池

アイコンな感じ。図像解釈学的な感じがした。記号の強さ。達観しないとああいった表現で「敢えて留める」事は出来ない。否定的な意味ではなく、あのラインで表現を止める。筆を置くタイミングを知り尽くしているから、ああいった表現になるのかもしれない。私なら、もっと筆を動かしてしまうところだが、キタモトさんは、あそこで筆を留める。その心意気を評価する人たちがいるんだろうと想う。
もうちょっと書けば、「怒る」を表現するとして、もう「怒る」にしか見えないって事。手に取るように登場人物の想いが伝わってくる。全く逸脱しない。楽譜がしっかりしているから逸脱しなくても見れるのだろう。それは、「セリフは一切改編していない」といったコピーライトに感じられる。残念ながら(?)一般人にとっての演劇とは、この逸脱しない独特の、普通の生活からは考えられない言葉の発し方、動き方を多様した浮世離れした表現方法、って事になってしまうのだろう。僕が中学生の頃観ていた演劇も、こういった部類だったと想う。強い既視感。これが心地良い年齢とそうでない年齢と。
象徴的な事をすると、人はついついその裏を読もう/遊ぼうとする。アニメの二次創作が流行るのも、それに近い。しかし、時としてそうした象徴的なものを出す人が、信じ難いくらいどでかい象徴性を提示する瞬間がある。意味を歪めたがる人もひれ伏すほどの象徴性。今回の舞台終幕、アナログだが非常に強いエネルギーを感じた。空間が鎮められた。心地良かった。