旧劇団スカイフィッシュ/作家・松山賢史

音響・照明費用を極限に下げての裸の劇場。一発目としてとても裸な感じで良かったんじゃないかと想う。しかし、役者への疑問符は消えない。スカイフィッシュの作品には、エロい匂いがある。そのやらしさは、儚い感じがして、ポストW村上チルドレンとして90年代を過ごしてしまった僕たちの過ちは、ある種そこにある。エロを表現のツールに使ってしまう危険性は大きくて、儚い私たちが儚いエロを提示してしまう儚さは、なかなか客席まで届かない。客席の皆様の股間をびしばし刺激するほどエロければ話は違うけれども。作品全体の構造としては、とても楽しめたし、身内を褒めるようであれだが、ラストの加藤は良かった。ただ、ああいった話をやるのであれば、徹底的に役者を追い詰めないと、エロに肉迫出来ない。距離を置いたエロを提示したといった話を終演後小嶋氏には聞いたのだけれど。
しかし、こうした表現方法を突っ走る団体も少ない。投げやりなかっこよさがある。上記文章にエロと何度書いたかわからないが、エロはエロスのエロです。生きると死ぬでいえば、生きるの方です。