姿勢、橋渡し

▼小学校6年生の時の担任の先生が、遅刻ばかりする生徒に向かって「今日が遠足なら、君は遅刻しなかっただろう」といったのを強烈に覚えている。そうだなぁ、確かにそういった特別な日であれば、遅刻をしないように心掛けるかもしれない。はたまた別の先生は、運動場で集会がある際、砂遊びをこそこそしている生徒に向かって「おい、お前、今自分の手を舐めてみろ! 舐められるか!?」といっていた。この先生は、ちょっとどうだ。砂で汚れていない手を堂々と舐めるってのも、道理としておかしいんじゃないだろうか。小学生はそんなにバカじゃないはずだ。

▼といったことで、姿勢について考えていたのだ。質や量が問題になるのは、全員の姿勢が統一されてからであって、姿勢が曲ってる場合は、論外。という事をうちの役者に言ってみた。

▼神藤はNewYorkに2年間行って、そこで役者修行を積み重ねた。2年間分の役者の技量は様々な方向から得られたとは思うが、実際の舞台は踏んでいないそうだ。その辺のバランスが、今の稽古で明るみに出たりする。そうした部分を否定的にとらえるのではなくて、どうしてそうなっているのかを考えてもらいたい。と同時に僕が考えるべき課題でもある。なので、神藤には近いうちに、N.Y.で得てきたモノをまとめて発表して貰う必要性があるし、彼がいまの日本の演劇事情に触れて、どういった意見を出すのか。アメリカでは、以前としてリアリズムが根強いと聞く。体系的に、うまくあっちとこっちを繋げていきたい。その橋渡しを上手くやる事が、当面演出家としての僕の課題だと感じた次第。