久しぶりに稽古、言語学、赤鬼

▼昨日は久しぶりに稽古/WSした。久しぶりに会うと気恥ずかしい気もする。今日の稽古で私は縄跳びと沢山の大小のボールと数字の書かれた木枠を持っていった。みんなで一杯遊んだ。身体を使う事で、久しぶりの気恥ずかしさを取る。縄跳びは人を必要以上に興奮させる。(必要の基準がわからないが。。。)私が持ってきた遊具を見て、役者らは大喜び。自然に顔は綻び、固さが無くなる。何度か二重跳びやボール遊びをさせた後、二つの縄跳びを繋ぎ、全員で大縄跳びをした。しかし、これがなんと、50回も飛べなかった。コドモは凄い。室内で大縄跳びってのも、どうかと想うが、自分たちの息切れが尋常で無い。はぁはぁはぁはぁ言いながら、真面目に大縄跳びをする姿が余りに可笑しくて、私も一緒に参加して跳んでいたのだが、途中から一人大爆笑しながら私は跳んでいた。もう身体がどうにかなっちゃったみたいな、そんな感覚で、「1、はぁ、2、はぁは、3、はぁひぃ…」 身体を駆使すると笑えるのだ。己の限界値を頭のレベルではなく、身体のレベルで垣間見たとき、人は狂喜する。私はそう信じる。

▼身体だけ使っていても、やっぱり私たちは「セリフ」を扱う仕事をしてることだし、やっぱり頭を使うこともしたいと想い、数字の書かれた木枠を使ったワークショップでよくするゲームをした。(決して、身体的なパフォームに頭を使わないって意味じゃないです。寧ろ、演劇/ダンスで分けたとき、私たちはダンス部類に入らないわけで、まそんな線引きどうでもいいじゃん、って言われて久しいけれど、結局仕分けはみんなしたがるのであって。ジャンル小説が売れるのは、そういうことを示しているのであって。僕としては、その線の引き方をもっと増やしながらも、直線で無く、曲線で区分けを出来るような余裕が欲しいって想います。しかし、やっぱりどんなに無茶苦茶な時代になっても、「男=女で無い」、といった連辞関係が言葉を決定付けるわけだし、と同時に恣意性が無ければ、みんな頭がぶっ飛ぶので、何かと気をつけましょう。自戒の念も込めて。) 外面の数字と内面の数字と。鬼は外、福は内だけれど、それが同居する事だってある。泣いた赤鬼を思い出して欲しい。あれは、良い話だ。赤と青ってのが、色彩的にも良いのだろう。あれがもし、「泣いた緑鬼」だったら少し怖いし、だからといって赤に近づけようとして、「泣いた赤茶鬼」でもよく判らない。何だか錆付いちゃったんじゃないかと逆に心配になる。

▼NHKで菊地成孔がマイルスの講義をしている。知らなかった。第二回から見たけれど、面白かった。当り前だけれど、実際に音が流れるのが良い。マイスルのカインド・オブ・ブルーが年間40万枚売れている情報に驚いた。その時のパーソネルにコルトレーンビル・エヴァンス、そしてキャノンボール・アダレイが名を連ねているけれど、TVの中で、アダレイについて一切触れていなかった。一瞬写真と名前が出ただけ。それが少し悲しい。

▼6月号のスタジオボイス、タイトルが素敵だ。『特集 Movie Guide for Dissatisfied Audiences 非・入門的映画ガイド!』 英題と邦題の微妙な違いがよい。[rakuten:shockprice:719039:image]