『机上の計算式』 深津篤史戯曲塾atウイングフィールド

書くの忘れていたが、これにうちの本條が出ていた。佐藤あいさんと二人芝居したのだ。本條の関西弁が気になった。初日に見たのだが、本條は戯曲家と演出家の間で揺れ動いていたようだ。まぁ、こういう事もあるものかもしれない。もちろん、役者は演出家に従うのが筋だしそれが真っ当な意見なのだが、戯曲家も色々思い入れ・言いたいこともあるのだろう。しかし、言うなら演出家にいうべきであって、姑息に役者に裏でネチネチ言うモノではない。私はそう思う。こういった事は、書いてるだけでも、腹が立ってくるじゃないか。何だろうな、そういう人って。戯曲家と演出家は違うのだ。たとえ作・演出が同一人物であっても、作品は一度書かれたら、作家だけのモノでは無くなる。そんな事常識じゃないか。と一人勝手に怒ってますが、深層/真相はわからないので寸止め。総じて、演出家・戯曲家・役者の関係について論じたと考えよう。悦。戯曲は面白かった、作品も良かった。関西弁の良い戯曲に出会うたびに、関西との距離を感じる。文体レベルでなく、笑いのレベルで。