dots/ MONU/MENT(s) for Living

こうした作品を久しぶりに見た。会場には演劇界の人々がちらほら。維新派の松本さんもいらっしゃったので、強引に恥ずかしながらお声をかける。他にも大勢の演劇関係者、周辺者の方々。開場が開演10分前なので、何だかロビーはバザーみたいになってきて、ワクワクした。
さて、作品。凄く緩やかな構成がされていた。僕は見ながら「表現への欲求」という言葉をずっと考える。その言葉から派生して、「表現の磁場」とかでも良いのだけれど、そうしたものを、受け手と作り手間で、どういった距離で、どこまで考えられるのか、ちょっと考える。『徹底して細やかな作為を随所に施す事で、「主観」といったものを巧妙に隠蔽し、恰もそれが「客観」であるかのように偽装しながらも、実は本質的な「主観」に漸近していく。』 これは、平田オリザ氏が現代口語演劇の中で提示した事の一つを僕なりに取急ぎ要約したものだけれど、MONU/MENT(s)を見ながら考えていたのは、この辺の事でした。パフォーマンス系でもダンス系でも、これは全く当てはまるのではないだろうか。
最近、France_panではside-sessionをしていないので、僕はdots見ながら、ますます横公演への欲求が(客観的に)増した。ただ、France_pan以外のカンパニーを作ったほうが、役者−演出の関係はクリーンに保てるので、今年か来年辺りに、何か別のカンパニー・ユニットなりを作れたらなぁと漠然と想う。人のユニットに乗っかる形でも良いかもしれないけれど、思考の(これが大事)気持ち良い捌け口は多数存在した方が心身ともに健やかだ。河合隼雄氏が提唱した心の鉱脈とはその事だ。(話が古くてすみません。)