思わず撮る?

▼1月14日の日曜日の情熱大陸梅佳代という写真家が出ていた。最初、見はじめは、彼女のTVカメラマンに対する慣れ慣れしい口調に腹立っていた僕ですが、見ているうちに、段々とそんな事はどうでもよくなってきて、彼女の全存在をいつの間にか全肯定している、つまり何か好きになっちゃってる僕がいた。不思議なパワーを持っている女性だった。
▼で、今日はシアトリカル應典院に所要で行かねばならず、仕事場から歩いてふらふらと應典院に向かっていったのだが、その行く途中でアセンス心斎橋にふらっとよって、ふらっと彼女の写真展を観た。思わず笑っちゃうような素敵な写真が置いてあって、僕はあまり写真に詳しく無いが、久しぶりに写真集が欲しい写真家を発見したぞ、と思った。うめめって写真集が出てるのだが、この表紙はよく見覚えていた。アセンスによく置いてあったわ、と。手にとって観るのは初めてだったけれど、全ての写真が「思わず」感いっぱいで、とても良かった。こういった写真家に出会った事は今までに無かったので、とても嬉しい気分になった。
▼僕は昔から写真なんて誰でも撮れる、ひらめきの感性の問題に過ぎない、と思っていた。だから、写真家を余り尊敬していなかった。完全に食わず嫌いなだけだったのだけれど、僕の浅はかな写真知識の中で特に尊敬していたのは、植田正治エリオット・アーウィットマン・レイアラーキーぐらいで、何かそこらへんに居る、そこらへんの写真を撮っている人たちには、どうも納得がいかなかったのである。納得って言い方は変だけど、何か、その写真家の個性とか、その人だからこその写真への想いってのが、なかなか伝わってこないと思っていたのだ。それは恐らく僕が全然色んな人の写真集を観ていない事から来る偏見と、写真機を一台も持っていない事と、シャッターを押下するだけで仕上がってしまう(と思い込んでいる)制作過程への嫉妬によるものなのかもしれない。忍耐さえあれば、作品として素晴らしい写真が仕上がる、ってのが、どうにも不甲斐ないと思っていた。
でも、そうじゃないらしい。いや、けっこうそうじゃないのだ。僕は梅佳代の写真を見て、梅佳代周辺の思考の形跡を嗅いだ気がした。それでいーじゃないか、と思った。無臭の作品を作るよりも、遥かに良い。ま、雑多な話すっ飛ばして、思わず笑ってしまう彼女の作品を観ていて思ったのは、僕たちは思わず生きてしまっているのだな、って事。それって良いことだと思う。

http://dc.watch.impress.co.jp/cda/exib/2006/09/12/4586.html

▼仕事場の上司が貸してくれたデヴィッド・シルヴィアン。とても貴重なモノも貸してもらえる。実は未聴だったので、今更感動している。仕事場の仲間がJAPANのCDも貸してくれた。ちょっと最近、この人に浸り中。