現在の肯定へのコメント

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▼本当は彼のブログへのコメント欄に書きたかったのだが、文字数が多すぎて跳ねられてしまった。。。私的な話ですみません。以下、コメント返信です。

▼現在の肯定へのコメント

叩き台にでもなればと想い、奇行/稿。

確かに、僕もちょうど同じような事をブログで書こうと想っていた。昨今の大阪若手演劇界隈の現在形の肯定の仕方には、何とも言いがたい、複雑なまがまがしさがあるような気がして。これは、関西に居るからこそ余計に感じるまがまがしさかもしれないけれど、その理由として、現在関西に定住するアーティストで、地方出身者はどれくらい居るのだろうという一見お粗末な、しかし実はとても現実的だろう問題があると想う。しかしこの問題は巧妙に隠蔽されている、溜飲を下げる酒量や世代格差の蓑を被った暗黙のヒエラルキーによって。

平田オリザ氏の言葉で「僕たちは工場も無しに製品を作るのか」と言う、日本の演劇事情に対する極めて鋭い投げかけがあるが、その問題を20代フリーターレベルに転じれば、例えば安心して住めるホーム(敷金礼金0円、家賃0円、食費ほぼ無料)を「工場」の土台と捉えた場合、地方出身者は稽古にかける時間の倍以上の時間を「時給労働」に費やしているのが現状だ。しかし、これはあらゆるアーティストが経験してきた「産みの苦しみ」だから、大して問題では無い。寧ろ、私が問題にしたいのは、その「産みの苦しみ」から出てくる”能動的創造性”と暖かなホーム故の贅沢な倦怠感からくる”受動的創造性”は明らかに違うという点だ。

例えば、大阪の芝居のチラシ束と京都の芝居のチラシ束とでは、美的センスにおいて雲泥の差がある(ように感じる)。美とは何だ、といった論点は省いても、この意見に殆どの人が賛成してくれるだろう。恐らく大阪の演劇界に、「別に、これはこれでいいじゃん」と言う安易な空気が蔓延しているから、あのように陳腐で恥ずかしいチラシが出来上がるのだろう。こういった状況は恐ろしい。彼らは、色色なことに目を閉ざし、その盲目性を良しとする。そういう人たちのお芝居は、概して距離感が無い。いきなり出てきて、僕たちの(あるのか無いのか判らない)琴線に触れようと半ば強引に手を伸ばす。しかし、その中途半端な触手に労苦の皺は見取れない。そして、私はしばしば想う。舞台上で大して逸脱も出来ず強度も無いその辺の人たちよ、「誰なんだお前らは」、と。そして、こんなに偉そうに話す私も「誰なんだお前は」と問われるべきだし、こういった意見は忌み嫌われ論破されるべきだろう。

と、かなり脱線してしまいましたが、無謀な前説終了。
以下、ちゃんとしたコメント返信。

野田秀樹や著名な人たちが身の丈にあうようなことをしちゃダメだって、言っているのにもかかわらず、自分の今の立ち位置しか表現していない。

『今の立ち位置しか表現していない』という事は、概してそれ程問題ではないと想う。寧ろ、問題なのは、彼ら自身が自分の立ち位置(テリトリー)が見えていないと言う点では無いだろうか。実際、表現者の原点は”自己の葛藤”にあると思われるので、立ち位置を表現する事自体は、非難すべきではないと想う。彼らのテリトリーの範囲、そしてその密度が薄い事が問題なのだろう。
(興行面として、身の丈に合わない小劇場ロングランプロジェクトは長期的に考えて評価出来る。ただ、この風潮が、何処までお客のフェーズを広げているのかは甚だ疑問だが、劇団や劇団員を淘汰するための機能は十二分果たしている。私個人も痛感している所です。)

>時間の流れは、「立ち止まりつつ流れる現在」の連続で、それはなんとなく暴風を受けて、電信柱につかまって立っているようなイメージで、だから、もう少し先までやらないとすぐに飛んじゃう

批判しあう事も無い大阪界隈演劇コミュニティは、まーるく治まる不気味な連帯感がある。彼らは緩やかな相互監視組織といったものを立ち上げ、その監視によって、エンゲキの治安維持は保たれる。たとえ、こちら側から牙を出しても、主食が違うといった理由で、全ての攻撃が無下にされる。そして、哀しいかな、すぐに飛んじゃう表現者の大半が災害保険に加入している。「演劇は金にならない、演劇はもてない、負け組み同士、仲睦まじくやろうよ」といった悪魔の囁きに耳を傾けてしまった人々は、様々な事から抗う事を止め、特定の場所で安住し始める。


と中途半端に書いておきながら、僕も一介の人間なので、矢面に立って突き進めるはずも無く、時に安住したくなる事もある。けれど、忘れてはいけないものを持ってやって行きたいという気持ちを忘れてはいけないと想ってやっています。この突拍子も無く長く粗い記述も、自戒のため、敢えて穴だらけで置いてみました。適度にぶちまけたこの飛沫を共有し、止揚しようという洒落。いや、僕は素面です。