僕を産んだ人が産まれた日

▼思えば今日は母の誕生日だ、と想う。ここ数年、人の誕生日は一日後に思い出す。

▼知人・友人は良く知っていると想うが、僕はマザコン度が高いらしい。僕も僕で、自分のことをマザコンと言う事を憚らない。自分で自分のことをマザコンと呼ぶことで、何かもやもやした気持ちを昇華しているのかもしれない。ま、そんな事はどうでもいいんだけど。寧ろ、今考えてみたいのは、母は産まれたという事。それはつまり、彼女を産んだ人がいると言う事。祖母がまさにその人なのだが、うちは祖母もまだ健在。そしてその祖母を産んだ人もいた。その人とは会った事も無いと想う。ま、兎に角、みんな生まれたわけで、産まれたわけだ。視点を変えて漢字を変えているが、どっちが良いという話でも無い。みんな生まれた/産まれた。こんにちは。

▼もう何度も言われてきた事だけれど、人間は産まれた瞬間に死に向っていく存在だ。「お誕生日おめでとう」とは「死に一歩近づいたよ、おめでとう」でもいい。別に皆で一緒に死にたいわけでもないが、みんな「死」という共通の着陸点がある。それは多分、今から1000年経っても、同じだろう。

▼歯が痛む。母の誕生日に歯が痛む。関係無いけれど、関係付けたくなる。創作者としての気持ちが弾む。