演出家、椅子に座るな

▼そろそろスペアー公演が始まる。打ち合わせ等も大詰めになってきた。今回の公演は本当に色々あった。いや、まだ終わっていないのだが、本当に色々あり過ぎて、困り果てた。意気消沈という段階もあったが、意地でやってきた。公演自体をキャンセルにしてしまえば、似非牧歌的な暮らし(心の奥底では、泣き声)が出来たのであろうが、我武者羅に公演継続の道を選び、多くの方のご協力を得て、何とか公演となるのであった。幼少の頃、もし今1億円当ったらとか考えた事があったけれど、今、1億円が何になるというのだろうと言う気がする。ご迷惑かけた人に、1000万円ずつ配って、10人の方へ1000万円の補填は出来るが、だからどうしたって感じだ。人の気持ちを値段に換算する事なんてとうてい出来ない。時間と想いだけが、人間にとって大切なんだ。そういう事をしみじみと思った。嗚呼、何か振り返りモードになっている。まだ、小屋入りもしていないのだ。

▼で、此間スペアーぶろぐに、サカイさんが、『先日の稽古で伊藤君が舞台上のあるスペースに行き「あー初めてここに立ったなー」と呟いた時、僕は少なからずショックを受けました。その空間に入りたい!その物質に触れたい!(あるいはその逆でもいいのですが)という耐え難い衝動を俳優に・観客に・全スタッフにひき起こさなければ演劇における美術の意味なんかないじゃないか。』と書かれていた。物凄く僕は、逆にこれがショックで、何にショックかって、自分の動けて無さというか、椅子にどっかり座っていた自分にショックを受けたのです。最近気付いたのだが、演出家は椅子に座っている時間を限りなく短くしてもいい。と言うよりか、むしろ役者がまだ卵の状態であれば、演出家は椅子に座らず、立ち続けたほうが良い。僕が動く事で、随分と役者も動く。そういう事なんだ。言葉で身体を縛る行為は、随分と熟練してきてから、役者と演出家の関係性がスムーズになってからの事で、今の段階では、時間をゆっくり使うか、僕が自ら舞台上へ飛び込んで、いろいろ動いてみるべきなのだ。という事に今更ながら気付いた。役者は統制下の鶏じゃない。野放しが一番だ。野放しの中から、若干の縛りを見つけていく。言葉で縛るには、加藤も本條も永見も、お人よし過ぎる。彼らの責任じゃない。僕の責任です。彼らがダメな役者って意味でも無い。僕が縛りすぎた。言葉め。演出家に必要なのは、思いやりだ。そして、厳しさ。前後逆にしてはいけない。今思えば、演出していて、興奮してくると、僕は席を離れて、後ろに立ってみていることがよくあった。あれなんだな。ビンビンになって演出しないと。よし、頑張ろう。ビンビンで。

▼スペアー公演が終わったら、フランスパンの体制が大きく変るはず。僕はそう信じて止まない。とりあえず、メンバーが減るだろう。実際今減っている気もする。。。淘汰って言葉が良いのか、移ろいって言葉がよいのか。僕は芸術が好きな人たちと仕事をしたい。しきりに、フラパン内部で、制作制作って言葉が飛び交う。制作なんだな。役者も制作だし、演出も脚本家も制作だし。基本的にアーティストが自分を制作したがらないわけがないじゃないか。じゃ、本来の制作って何だ。アーティスト以上にアーティストの心身気遣う、ホスピスみたいな。制作という肩書きのみで生きている人ってのは、ユースホステルのおばちゃんみたいなもんだよきっと。細部に目が行き届くのだよ。家のやり取り全部に目を配っているおばちゃん、いたらいたで良いじゃないか。今、フランスパンユースホステルは、危機的状況だ。何故ならおばちゃんが不整脈だからだ。不整脈は比喩だ。皆でおばちゃんのカバーなんだ。女将が必要だ。雌雄は関係無い。女将、何処。女将がいなければ、掃除担当、料理担当、アルバイトの面々、皆で何とかするんだよ。でも、消えたり現れたり、止ったり吸い込んだり、オバケみたいな存在だと、何かとこっちが気にするんだ。嗚呼。女将。その言葉が象徴主義的に機能でもしない限り、office全体で、静かに淡々と、一人称の善意が溢れればいいさ。私は主宰でも作・演出でも、役者でも何でも無い。伊藤拓と言う存在なんだと言うことを再認識しないといけない。それは、カンパニー間、全員お互いの約束事だ。

▼てな事をよく公演前にかけるな、僕。我慢できなかったのかな。何に我慢かよくわかんないけど。駄目なことは駄目と書けばいいじゃないか。僕は大川豊の著作を読んでそう思ったのだ。そして主宰としての伊藤拓は、密かに次の精華小劇場のことを考えながら、スペアー公演に臨んだりしているから、こういった事が出てきてしまう。うひゃ。

▼さりとて、スペアー公演をお勧めしないわけではない。是非とも見に来て欲しい。まだまだ、チケットは余っている。精神的なゲテモノ好きは、フランスパンの精神状態を見にきても面白いかと思う。作品としては、精神的にも肉体的にも、面白い出来です。現代美術を見て、自分と自分の周りの関係性にまでフィードバックして、能動的に作品を見るような方。是非ともお越し下さい。待ってます。