旅立つ事/旅立たない事

▼人には人それぞれの時間が流れてて、旅立ち方・旅立たない方にもそれぞれあると思う。僕は今、表面的には何処にも旅立たず、つまり粛粛と静かにモノゴトを考えていないような雰囲気があると思われていると思う。実際問題、僕もそのように感じる局面は一杯あって、部屋が物凄く乱れてくるとか、食生活がジャンクまみれとか、友人の電話に出れないとか、ト書きをすっ飛ばすとか。。。先日の日記でも書いたけれども、今回の公演に至るまで(って至ってないぞ、まだ)は何かと大事件が沢山あって、まぁ、その弁明を書いているつもりじゃないけれど、はっきりいってこれは自分に書いているようなものだけど、全てを忘れて現代を純然たる消費者として生きているのかと言ったら、全くそうじゃない。2006年9月〜11月までの三ヶ月間は、忘れられない三ヶ月間になるだろうし、ある意味僕の人生を決定的に(良い意味でも悪い意味でも?)ぐにゃりと曲げてしまった三ヶ月間になるのだろう。いや、公演のワクワク感とかは、メインディッシュon別腹。

▼そして雪崩て、突然フランンパンメンバーの紹介だけれど、フランスパンメンバーは圧倒的に貧しい。意外とそれは有名で困る。貧しいゆえの迷惑もめっちゃくっちゃかけている。片親の奴もいる。実家から遠く離れ暮らしている奴が殆どだ。大阪で芝居をしていると、実家の人がよくいて、嗚呼良いなぁ、飯があるのだなぁ、家賃はいらないのだなぁ、とか、甘えた事を言ってしまう瞬間が多々ある。貧乏のくせに何故演劇をやっているのだ、何だ勢いばかりでおいおいおい、と思われてしまったりもするけれど、いやはや、その辺はさ、人の道だもんで、ちゃちゃいれんとってーね、って思う反面、「はい、精進します!」の一心だ。舞台芸術を好いてしまったのだもの。まぁ、アングラ体験世代からすれば、貧乏だからこそ映画ではなく演劇だ、ぉー進めー事件だー!!なのかな。その勢いは僕も大好きだ。でも、現実世界は厳しい難しい。仲間が100人いるとして、確実にその100人全員が幸せ家族計画、はいはい公演行きますよー、だったら色んな意味で鳥肌。

▼果てさて、今の現代の若者たちが、その行き所の無いオーラをどう噴出するのか。鬱憤を晴らすために、舞台上にて何が出来るのか? 鬱憤を晴らす藝術なんて、何だか嫌な響きだな。感動したいんだ。感じたこと、怒り・喜び・哀しみ・等等。何か話が遠い方に向ってきたけれど、僕は今何が言いたいのか。よく判らない。ん〜、話は飛ぶが、此間抑鬱症と言う言葉を知って、なるほど僕はこの病気かもと本気で思った。抑鬱症。。。鬱病って言葉も悲しいけれど、抑鬱ってのは、その悲しさが何倍にもなって跳ね返ってくるような言葉の強さがある。抑鬱。。。不謹慎な発言ばかりでごめんなさい。ある特定の言葉に自分をはめ込んで楽しようとするなんて、駄目な男だ。定義出来ないモノを作りたいじゃないか、アーティスト足らんとするならば。

▼だから旅立つ時期は、いつだっていい。いや、これ、何だか違う意味に取られそうで、逆に怖いんだけど、そんな意味はありませんから。深く深く、俳句でも読もうとして、ゆっくりと自分の周りを見つめ、例えばアドレス帳を眺めては、遠方の友や、お世話になった方々に、一筆啓上するような時間、その全てを一度自分にフィードバックさせて、気持ちを寝かせて熟させるような、あこれ書きたい!!って嘘でも思えるような、優雅な、雅な、そんなアソビタイムを持ちたいって事です。それまではとりあえず長丁場。鈍行列車に乗りながら早く考えるか、特急列車乗りながら遅く考えるか。何れにせよ、これは片道切符。