身体は正直

▼今日の稽古は、サカイさんが美術作業している場所にて行なった。美術付の稽古は非常に楽しい。ワクワク感が強い。音響のMC本日がスペアーぶろぐで写真上げてましたが、本当に素敵な美術です。別の写真を上げてみる。これは、ほんの一部で、途中段階ですが、とっても面白い構造になっているのです。

▼役者は本当に感動していて、人間感動すると中々上手く動けないもので、役者が実際にセリフを何度も詰まっていた。そしてこれは、新しい負荷のかけ方だなぁって思った。つまり、役者の身体を過剰に酷使して肉体的負荷をかけ、何かそこから生まれて来るものもあれば、逆に負荷とはいえない、何か言葉に余る感動(英語のbeyond descriptionみたいな)、筆舌に尽くし難い感動を与える事で、役者の思考はぶれるはず。でも、同じ曲を何度も繰り返し聞くと飽きるように、感動ってのは繰り返しが聞くだろうか。僕は、演劇において、それは繰り返し可能だと言いたい。目の前で、人間が何かをしている。それは、決してパッケージングできないような魂(って言葉がダメなら意地とか気迫)みたいなものが込められているはずで、そういったものは、何度でも感動するものだと思う。こういった話で頭を過るのは、松本人志のすべらない話における、テンドン。繰り返し同じ話をしてもすべらない彼らのトークを思い出しながら、あ、スペアーも17回公演かぁ、と思ったりする。チケット絶賛、発売中。

▼思わず宣伝してしまった。「身体は正直」に関してもう少し書こう。今回、サカイさんが居る美術作業場は本当に素敵な空間で、昔造船所があった場所を劇場として、他の空間を稽古場にしたり、作業場にしたり、外でテント張ったりと、そういう北加賀屋にある場所なんだけれど、その空間に魅了されたMC本日は、稽古の休憩時間に突然ホーミーをしだして、これも身体が正直だからだろうって思って、微笑ましかった。即興音楽に触れた事がある人って、凄く身体の反応が正直になってる印象があって、BRIDGEで即興のワークショップなども定期的に開催されているみたいだけれど、強張った身体も頑張った身体も、舞台上では余り面白みが無くなって来てて(意図的に強張らせるとか頑張らせるってのは話が違います)、勿論超絶技巧の凄さってあるけれど、単純にその人自身の身体性を発掘していくのが、やっぱり最初のステップだと思う。常に変化しつづける自己であるんだろうけれど、その自己の変化を客観的に気付ける人間でありたい。そのためには、自分から自分を未知の世界へ投げる「アソビ」も必要だろう。「アソビ」には、気持ちのゆとりって言う意味もあるのだから。「○○ちゃん、あーそーぼっ」、と友達の家を訪れる子どもは、気持ちのゆとりを欲している。