有限

株の話じゃないです。

有限である私達。
何をして何を得るのでしょうか? 睡眠する事を至上の喜びとする人は、それはそれで幸せでしょう。でも、生きる意味なんてちっともわからない僕たちは、何を捨てて何を拾っているのでしょうか? そもそも捨てる事を嫌う人は、ずっと守るのでしょうか? 何を、何から、守るのでしょう? 何も得なくたっていいし。何をしてたっていいし。ぺちゃくちゃぺちゃくちゃ。

ちょっと話が抽象的ですね。でも、案外切実な問題でもあるんです。生きることってのは、同時に死んでいくことでもあります。いつか皆死ぬんです。ころっと。じわじわっと。ぐねぐねっと。ぱっと。たとえ死なない薬が出来ても、僕はそんなもの要りません。有限だから面白いんだと想います。有限を意識するから、みんな何かに「感動」できるんだと想う。そんな有限である事を自覚して僕は死んでいきたい。勿論時間はずっと流れてくだろうし、地球の一生にしたら僕の一生なんて一瞬でしょうけれど、僕がしたいのは宇宙規模な話じゃなくって、極々私的な話で、生まれ出てから死に去るまでに、やっぱり「何かしたいなぁ」という話です。その目的は、宇宙規模でも四畳半規模でも、何でも良いと想うんです。「石を1000個拾いたい」とか、他人からしたら何の意味があるんだろう的なことでも、その人にとっての「生きる意味」になるんです。だって、きっと、そもそも「生きる意味」なんて無いだろうし、それは僕ら各人で決めれば良いと想います。最終的な去り際で、「ユリイカ!!」って叫ぶ必要も無いだろうし。「なんだかなぁ〜?」で終っても良いと想う。
僕としては、どういう結果であれ「もがいた」という事実だけは残したい。団体の主宰である以上、仲間である彼/彼女が一緒にもがいてくれるのは、本当に文字通り有難い事だと想います。ただ、もがく度合って問題もありますけれど。。。

僕には僕のもがき方があります。そろそろ本格的に騙りはじめないといけないのでしょうか。
そんな分岐点。

時間は無限です。でも僕らは有限です。夢幻は無限でしょうか? 僕は有限実行したい。基本的に嘘つきですけれど。どうせ騙すなら、自分から。