踊りに行くぜ!! Vol.6

僕個人として、ダンスを観に行ったのはかなり久しぶり。琵琶湖のフェスでは勿論ピクニック感覚でダンスを楽しませてもらいましたが、利賀行った時にディディエ・テロンも観させて頂きましたが、大学入りたての時にダム・タイプを琵琶湖まで観に行って意気消沈しましたが、ま、何にせよちっともダンスらしいダンスは観ていないのです。ダンスの本は齧る程度に読みましたが、中々生を見て感動した事は少ない。(テロンはめたらくたら感動した)

ま、僕のダンス観賞史などどうでもいいけど、何と無くダラダラ。

僕がダンスしてんなぁって思った人。
甲本ヒロト松本人志、ジャズを狂ったように奏でる人たち、OM-2の佐々木さん、松尾スズキ町田康の文章、抽象絵画ポロックカンディンスキー、クライン、マティスの切り絵などなど)

すごく適当に並べたが、知人の森田をここに加えてもいいと思う。

結論はわかりません。日々考えていきます。ダンスって何?と。身体性って何?と。

前置きが長くなりましたが、僕個人の意見として踊りに行くぜ!!は、そこそこ面白かったです。自分がいかに「意味」を求めているのかを改めて思い知らされました。その発見はある意味ショックでした。10月28日に京都芸術センターで行われた「演出家フォーラム」でも太田省吾が、「意味を越えた所を探したいから演劇をする」的な発言をしていました。「支配的言語」にアンチを投げかけるのだと。(あの日のフォーラムは滅茶苦茶面白かったので、詳細はまた書きます。)

で、僕が意味を確実に受け取れたのが、黒田育世と山田知美でした。黒田の踊りは圧倒的身体能力で、ぐいぐい踊ります。基本的な回転のベクトルが時計回りだったのが僕的にちょっと気になりましたが、外見も良し・運動能力も良し・振付も良し・音楽も良し。激しめのダンスのあと、和み系ダンスが始まりました。二人の関係性に嫉妬しました。古き良き(?)「男と女」が観えた気がしました。

山田知美、中盤の構成力がいまいちでしたが、身体を徐々に痙攣させていく幕開けに私は大変衝撃を受けました。正直、山田知美は外見的に細身のタイプではなく、寧ろ太っていると言っても良いのですが、その彼女が棒立ちで小刻みに震えだすのです!!それを見た僕は独り笑いました。でも次第に笑えなくなるほど彼女の身体は痙攣し始めます。白いタンクトップが波打ちます。ジュラシックパークの有名なシーンを思い出しそうになりますが、観客が受ける印象はそれ以上。一体全体、何が彼女をそこまで痙攣させるのか? 彼女のプロフィールにある、

「−−仲間ともわけもわからずとりあえず4年間踊る。卒業後、自分と向き合いたく‘ひとりから’始めようと思う。」

が心に響きます。勿論荒い部分もありますが、ラスト彼女が踊り疲れた身体をゆっくりと休ませるために、「ただ息をしている」姿は、何かとても奥深いものを感じました。そこの照明の溶暗タイミングも絶妙でした。え?これで終るの?それはないよね。次は何?次はどんな動きするっていうの?・・・・・・・終っちゃった。。。。てな感じです。彼女の身体性(勿論外見も稚拙さも含む)が「ただ息をしている」事によって、観客の「次はどんな動きするっていうの?」と言う挑発的態度が、真っ暗になった瞬間に一気に内省へと向かわされます。ちょっと久しぶりにもの書くので、乱雑乱暴ですが、そんな感じなんです。

ホナガヨウコ、彼女のダンスからは意味は見えずらい。その代わりに意味からはみ出さんとするものが見えました。サンプリング・ダンス。にせんねんもんだいとセッションしたらしい。すごくそれが観たかった。コラージュされた全体像が、声にならない「バイバイ」なのだとしたら、ちょっとまだ若いかなぁと。でも、一番売れ線だと思う。サブカル的な意味合いで。

花嵐。僕の目が腐ってるのかどうなのか。全く何も感じなかった。だが悔しいかな印象には残る。「踊りは未知なる身体への冒険」とプロフにある。なるほど。ならば、舞踏畑から跳んでSFにチャレンジして欲しい。四つんばいで腰だけぐいぐいするのとか、ラストの高音周波数とか、かなりサイエンス・フィクションだと思ったのだが。命がけで突っ立った死体はどこにも見当たらなかった。

総評。踊りって面白い!!!!