ひきこもり、でもないですが

その1 はっとした

泡盛を激安ジンジャエールで割って、一人ちびちびやってます。
ぼーっとしながら本読んでたら、眠気を払われ涙腺をびしばしやられる。
ひきこもりに関する文章なのですが、ここにちょっと掲載してみます。5年前の文章ですが。

 ひきこもりをぜいたく病だ、現実逃避だと批判する人がいる。しかし実際には、彼らは単に逃避が下手なのだ。最悪の現実逃避は自殺だと考えられるが、ひきこもっている人はめったに自殺しない。彼らはいつもやり直しを切望している。夢や理想から逃げ切れなかったことが、彼らをその場に釘付けにする。「あきらめを知る」ことで自由になれると判ってはいても、彼らはあきらめに逃避することすら潔しとしないのだ。

これは阪本順治監督『顔』パンフレットに掲載されている文章で、執筆者は精神分析家の斎藤環です。ついつい自分の現況と照らし合してしまい、想う所多かったです。

その2 ほっとした

稽古場を管理しているおじさんと1時間程話した。彼が定年退職していること。彼が英語の勉強に取り組んでいる事。彼の娘がアメリカ留学中であること。彼が黒人を「黒ちゃん」と呼ぶこと、さらに黒人の事を少し怖れていること。私を社会人で立派な人間だと思っているらしいこと。

私がそこの施設に備え付けてある本棚の最下段をしゃがんで覗き込んでいたら、おじさんが話し掛けてきたのだ。おじさんは僕と同じようにその場にしゃがみ込んで、30分ほど話し、途中立ち上がり、もう30分をぺちゃくちゃやり過ごした。

帰り際、今度は警備員のおじさんと30分程話した。彼が平日のみそこで働いていること。フラパンをパンを作るサークルだと思っていたこと。フランスパンという名前が素敵だと思ってること。メイシアターでも公演をしたと僕が言ったら、何故か深々とお辞儀されたこと。始終笑顔で話をされていたこと。

帰り道、いつも飛ばす原付を法廷速度にしてみたり。