芝居じみている

▼遊劇体#51『蘇りて歌はん』を観た。その中の台詞で、「芝居じみている」という台詞があった。この台詞が機能するには、芝居じみていない空気を創出する必要があると思うのだけれど、僕はある一定の年代以上の人のお芝居を観ていると、この「芝居じみている」という感覚ばかりが目について、肝心な中身とかまで全く目が行き届かない。そういった芝居が大阪にはまだまだ沢山あると思うし、そういった芝居ばかりがOMS以後もずっとはばを利かせているような印象を僕はいまだに抱いている。

▼「芝居じみている」演技を僕は否定しないけれど、「芝居じみている」演技を当たり前のように採用する演出家なり集団を僕は否定したい。そういう意味では、逆にキタモトさんは、明らかに意図的に「芝居じみている」を採用しているし、その決意もかなり潔いと思えるため、全然否定出来ない。というかキタモトさんの筋の通し方は凄い。でも、僕には全体的な演技がある種古いものに思えてしまう。もちろん、演技が古く見えたりする団体は他にも沢山あって、アイホールで行われている想流私塾系統、と括って良いのかわかりませんが、あの塾に関わる劇団の演技の多くが、僕には古いスタイルに思える。古いから悪いって事じゃないけれど、いわゆる「芝居じみている」スタイルを当然のように採用し続ける果てに、何があるんだろうか、と思わなくもないし、古いと言ってしまう感覚は、もっと大阪に出てくるべきだと思うから、今僕はあえてこういう事を書いている。というか、古いと言えない、というか思ったことがいえない空気を保つほうがずっと芝居じみている。

▼精華がクローズされて、今後大阪がどうなっていくかは分かんないけれど、少なからずちょっとした地殻変動が大阪小劇場界におきるだろう。そのためにも、自由で活発な議論が、さまざまな個所でさまざまな人たちで行われていく必要を僕は感じる。大阪小劇場の表現が疲弊しているかどうか、実際の部分は僕にはわからないけれど、昔と様変わりしないなぁ、という印象を抱いている人は多いだろうし、その事に憤りを感じるアーティストもきっといるだろうと僕は信じたい。何度も書くけれど、芝居じみている事が悪いわけでも、古い事が悪いわけでもない。悪いのは、思ったことがいえないまま何十年も同じ空気を抱き続けるだけの体制や、そういった体制を支える過剰な優しさである。

追記
肝心な芝居の感想ですが、キタモト節が好きな人は絶対に行ったほうがよいと思いました。もうこれは演歌ですよ。ど演歌。2時間50分と長丁場ですが笑。セルフドキュメンタリーという謳い文句がありますが、ドキュメンタリー映画っぽいタッチはないです。完全な芝居です。僕はラストが好きでした。そして中島陸朗さんの戯曲の言葉の力が凄いです。精華小劇場閉鎖してしまうため、精華小劇場の舞台空間をずっと感じていたい見ていたい、そして劇団の暑苦しい力が大好き、という人にはかなりお勧めだと思います。