風花にて

▼生駒で忘年会をした。19時開始。ありきたりな生活出演者他数名来てくれた。僕は生駒に早めに着いたので、うろちょろしていた。生駒駅前の阪急?大丸?高島屋?、か正確には思い出せないが、百貨店の入り口の椅子、誰か来て休んで下さいな椅子に座っていた。いつもならそんな所座らないけれど、そこに浮浪者らしきおばあちゃんが座っていて、ずっと独り言を繰り返していたから、それを聴くために、っていったら不謹慎なのか、でもとにかくその言葉を聴きたくて、そのおばあちゃんの隣に30分ぐらい座っていた。おばあちゃんの言っていたのは、「やっぱりチョンマゲよね?」「高山右近さんやな、それ以外は全部ダメ」「キリシタン、スペイン」などなど。僕の記憶が朧気なので、正確に記述出来ないんだけれど、まとめると、高山右近が日本のもたらしたものが良くて、現代人はその事を忘れて自由に欲望のままにやり過ぎじゃないの、みたいな話だった。入口に座っているものだから、人の出入りは激しく、いろいろな人がおばあちゃんを横目に過ぎ去る。入口には独り言のおばあちゃん、百貨店の中は綺麗なディスプレイでチョコレートとかバッグとか売っている。そのギャップが楽しかった。本当は、そのおばあちゃんに声をかけたかったのだが、話し込んじゃって19時を越えるといけないな、という気持ちと、どうやって声をかけようか僕は高山右近について全然知らないしiPhoneで調べてはみたものの、という状況とで、結局話しかける事が出来なかった。今はそれが残念でしょうがない。

▼独り言を言う人に興味がある。寺山修司が彼の演劇論が書かれている本の中で、ニューヨークに行って独り言を話す人が多い事に注目して、「ああいった人をどうやって演劇に取り込めるか」みたいなことを書いているんだけれど、自分の祖母が独り言を話すようになって、あの一文が、より強く僕の記憶に引っかかるようになった。どうやら聞く話では、祖母の独り言は、殆ど絶叫に近いらしい。ハードロック、いやハードコアか。祖母を舞台上に上がらせて、隣でエレキをがむしゃらに鳴らすパフォーマンスした場合、祖母はどういったテンションになって、見られていることを意識してより叫ぶのか、それとも冷静になって叫ぶことを止めるのか。そういったことに興味がある。その事を調べるためにも、1度はやはり祖母のいる場所へ行かねばならない。

▼忘年会のことを書こうと想ったら、こんな話になってしまった。忘年会は、何かとお世話になっているサカイさん家でやった。店で流れる音楽が、途中で僕のiPhoneから色々流して貰いつつも、そのまたあとに店の雰囲気とは全然違う、ゴシックな音楽が流れ始めた。その時のサカイさんの感じが忘れられないのと、坂さんがかなり日本酒好きって事が分かった。皆様、お疲れ様でした。