正直であることと、理解を示すこと

▼稽古稽古稽古。でも、出演者の揃いが悪い。これは予想していた以上に悪い。予定が突然狂ったりする。個個の事情はあるのだ。諸々連絡が滞ったりしてるんだろうなぁ。こちらも反省する。しかし現代社会で同じ一定時間を共有して稽古して、それを何百時間と重ねて、数回きりの作品を仕上げるなんて、途方も無い贅沢な作業をしているのだな、演劇は。これを贅沢ととるか、無駄と取るか、その辺で色々切り替わる。

▼DIVEプロデュース公演「中島陸郎を演劇する」を観たが、ん〜。。。なぜ若手を起用しなかったのか、色々諸事情を3割ほど知っているとはいえ、ちょっと思うところあり。DIVEには若手演出家コンクール最優秀を取った土橋さんもいるし(A級が役者募集してましたよ!!)、最優秀取れなかった人も僕含めて数人いる。頑張って面白い作品を作っている人は多少なりともいるはずだ。そういった人たちをもっと起用していいようなものなのに、なぜ。。。誰も書かないだろうから書いておくけれど、どうしていつも、何だか同じメンツでぐるぐる回るのか、その辺を疑問に思う人は、超ーーーーーーーーーーー多い。きっと直接的には怖くて言えないだろうから僕がよくそういった話を聞くんだろうし、先日行ったODCでもその話はがっつり出た。たぶんこっちから触手を伸ばす分には答えてくれるポイントも多いんだろうけれど、あちら側からもっと積極的に触手を伸ばすって事が大事なのではないか。と思いつつも、やはりDIVEに期待しすぎるのも間違いで、それはDIVE運営に関して、殆どの理事が自分の劇団も持っているし、皆さん大変忙しい人たちばかりだからだ。本職(主宰劇団)を持ちながら、別業(DIVE等)をやるとき僕がいつも思い出すのは、デジタル化することで仕事の手間を省く方法である。実際、今PCが無かったら、うちの集団はアナログの果てに死んでいたはずだ(ほとんどの業務が私のPCから産まれ、個個に発信。)今、家電量販店でブラウン管のTVを探すのは至難の業である。それと同じように、アナログに人と人を繋げる方法は、現代人からすると、なんか不利益感を抱かせるものに映る。(こうは言うものの、実際に人と直接会う方が、何百倍も何万倍も素晴らしい。でも、七面倒な事務作業に限っては、なるべくPCにやらせるべきで、そういった事が出来ないと、無駄なところで苦労する。)DIVEの運営には、そういったアナログ感を覚えざるを得ない。それはプロデュース作品を観ていてもそう思った。

▼何も新しいものばかりが大事なのでは無いけれど、昨日正解だったものが今日明日にでもひっくり返るようなセカイである。そんな中で、ある一定の価値を生み出さんと日々稽古する演劇は、一体何が出来るのかって事は突き詰めて、日々考えないといけないのではないか。で、中島陸郎、という名前一つとっても、「中島陸郎を演劇する」と言われても、知らない人からしたら、ほんとに「は?」みたいな話なのである。(僕の周りの9割がそういう反応。)チェ・ゲバラの映画を観たときに、最初にチェの紹介をする3分間程度(?)の短い映像が流れた。少なくともそういった事は必要だったんじゃないか。だって、タイトルでしょ?って思う。身内演劇祭感、丸出し。と言わざるを得ない。例えば、岐阜に「大島大三郎」という演劇プロデューサーがいたとする。で、岐阜の何処か劇場で「大島大三郎を演劇する」というタイトルの芝居が打たれたとする。誰が観たいのか。違いますか?

▼かといって、そういった未知なるものを全てはね除けましょう〜、ネタにならないもんは全部排除しましょう〜、みたいな空気も良くない。ラジオで佐々木敦氏も熱弁してたけど、「他人が紹介してくれた本は、必ず読むようにしている」という気概は必要で、そういう意味でも「中島陸郎を演劇する」と言われれば、これはDIVE所属しているし、知り合いも多いし、キタモトさんと会いたい事もあったし、これは行かねばと思って見に行った。そこで僕なんかは、多少の期待感を持っていったのだが、ん〜〜〜。と感じた。飲み会にも参加し、キタモトさんとも色々話、Yさんとも話せて、僕的には満足してぼろぼろの身体のままM君の家に泊まり3時間睡眠で仕事場に向かったけれど、でも期待があったから、ちょっと作品の出来が、ん〜〜。僕の満足のいく感じではなかった。何処が?という質問があれば、全然答えますが、ここではちょっとやめときます。良かったのは、最後のキンキン音と宮川君の嘘の無い表情、そして「   」さん、となっていた戯曲の構造。「   」さん、に関しては凄く単純な手法だけれど、知らない人でも「中島陸郎」を強く意識させる効果がある。その時人は、「   」さんの空白部分に自分の思い出深い人の名をいれるわけで、特定の人への想いの強度によって、観客と作り手はかろうじて繋がる。想像力を働かせる余白を、戯曲構造に組み込んでしまうこの方法が機能したのも、タイトルが「中島陸郎を演劇する」だからだが、この事は自明だからこそのシンプリシティがあって、逆にちょっと感動したりもした。

▼習慣HIROSEを執筆されているヒロセさんの感想が、とても正直プラス理解があると思った。ここで大事な事は、理解があるって部分も勿論そうなのだけれど、それ以上に正直であるという部分だ。今の世の中、全然理解が無い人も多いので理解を持つことの重要性も語っておきたいし、そういった活動も僕は強く指示したい。しかし、やっぱり本質的に、自由に正直にモノゴトを語れない空気ってのは、不毛だと思う。

http://blog.goo.ne.jp/ponyasu007/e/f21d5019e6772c5b71ee3e0e8f591cf9