前のめりに語る人たちについて

▼メルマガが再始動しました。月一で頑張って流します。僕も600字で依頼されていたコラムが、1800字にふくれあがってそれ流してます。メルマガでしか読めないコンテンツにしていくつもりです。メルマガ希望者は、うちのホームページをよく見て下さい。応募のところ、あります。新人の岩崎が担当してます。

▼さて、エンタメだ。何がさて、だと思われる人もいるだろうが、さてエンタメだ。と言いたくなる状況が今この辺にある。この辺ってのは、大阪界隈である。今日、加藤が出ている浮遊許可証なる集団の芝居を見た。で、もうちょっと前に尼崎ロマンポルノの芝居を見た。(そういえば、マレビトの会「声紋都市」も見ました。妊婦が顔に手をかざしてるシーンで、軍人お父さん役のごまさんが、手をがっと上に上げて勝利を謳うようなシーンがあるんだけれど、そこで一瞬落涙しそうでした。父なるものを考える私的な時間が楽しめました。)

▼ある意味エンタメを語り始めることは危険な気もするが、なぜ語りたいのか、って言うと、何か全然おもしろさを感じないからで、これはなぜだろうってずっと考えている。エン●の●様、という毒素そのものみたいな番組があるけれど、演劇のエンタの神様は誰だ(って伏せ字にしたのに、言っちゃった私。)で、誰か考える。野田秀樹か。といって、彼が悪影響を振りまいているとはあまり思えない。ま、功罪みたいなものは、誰だってあるだろうけれど、ちょっと賢い子なら野田秀樹の芝居を安易にやっちゃいけないことはすぐに分かる。高校生の頃、よく馬鹿みたいに「野田やろ、野田やろ」って言う人がいたもんですよ。そのたびに僕は「おい、君が出来るわけない。僕ら無理。やめやめ。」といっていた。(だからといって、僕が野田秀樹嫌いかと言うと全然そうじゃなくって、高校生のくせに大阪まで見に行ったりしてました。って記憶があります。ライトアイにはすげー感動したし。)たまたま今日宮沢章夫著「牛乳の作法」を再読していて、最後の章に野田秀樹を考える、みたいな章があって、そこで宮沢さんは戯曲だけを取り出して野田秀樹を考えているのだけれど、その中に秀逸な一文が入っていて、それは野田秀樹を考えてみようと思ったきっかけの部分で、以下のようになっている。って書いたところで、続き。
何故って眠いから!!!!!!!!