結んで開いて

▼まず記事を紹介する。

元気な記事
http://www.bounce.com/articleset/articleset.php/395

元気じゃない記事
http://www.nikkei.co.jp/kansai/news/news002134.html

▼上記以外にも、様々な場所で元気な記事と元気じゃない記事をちらほらと見た。僕は元気な記事に紹介されているような音楽が好きな方で、それなりに動向をチェックしていたりする。大阪のその辺の音楽シーンは、とても良い感じに思える。もちろん、BRIDGE閉鎖に伴って痛手を被ったアーティストもいるのだろうけれど、すぐに別の場所を模索して、活動を継続させていたりもする。そして、それらをちゃんとケアーしてくる小屋主がいるし、ファンもいるし、記事を書く人だっている。CDが猛烈に売れている事は無いのかもしれないが、それなりに元気にやっている様子が、僕なんかからすると、とても羨ましかったりする。(現状は違うのかもしれないが、少なくともあの辺の音楽やっている人たちのスピリットは、とても格好いい。)

▼一方、元気じゃない記事の方は、大阪演劇関連の記事なのだが、これに最近出た「せりふの時代」の特集「大阪の演劇状況をみんなで考える」を加えても良いのだが、多くの大阪演劇人が「OMS、OMS」と連呼しまくりで、先々の話をあまりしていないように思える時がある。ま、実際今大阪の状況は悲惨だと僕個人も思ったりするから仕方無いけれど、昔付き合っていた女を「あいつはいいやつだったなぁ。。。」と嘆いてばかりいては、なんだか女々しい感じがするじゃないか。音楽の流通形態と演劇のそれとの違いもあるのだろうけれど、僕は音楽やっている人で「BRIDGE無くなっちゃったよなぁ。。。」と嘆いてばかりいる人を、見たことも聞いたことも無い。BRIDGEとOMSを比べても規模が違うのだろうが、何となく比較してしまった。別に、過去を振り返ることが悪いことだとは全然思わないし、もちろん過去の恩恵が色々な形で受け継がれて、今があることは確かだ。しかし、温故ばかりで、知新を全くしないのは、ちょっと違うんじゃないか。(って昔ここに書いた気がするが、まぁいいや。)「OMSとその時代―柱のある劇場 扇町ミュージアムスクエアの18年」が刊行されたのは2003年の9月。もう5年経つんだ。閉館から考えれば、プラスもうちょっと立っている。そんなに長いこと、5年以上も経っていて、ずーっと嘆き続けるってのはどうなんだ。僕は大学の頃彼女を失って2年間嘆き続けたことがあるが、5年も嘆くって事は、そうとうOMSはいい女だったのかもしれない。しかし時に、過去を思いきり忘れることだって、次のステップに行くためには必要だ。忘れられない人との思い出の品物を、焼却炉に投げ込んだり、近所の川に投げ捨てたりして、新しい人生を歩むことだってある。といったところで、次回のDIVE演劇祭は『精華演劇祭vol.12 DIVE SelLection vol.3 中島陸郎 演劇祭』という名称である。OMSを知らない世代の人たちからすると、とても温故な印象のタイトルである。しかし全く新しい部分が無い訳じゃない。この演劇祭に東京で活躍している劇団が名を連ねていたりする。とても面白い。個人的には、こういった部分にもっともっと目を向けてられて欲しいと思っている。今大阪に必要なのは、その辺の融合だ。(実際、上述のせりふの時代特集の中でも、万歳一座の内藤さんと青年団オリザさんの作品を交換して精華で上演する企画が話されていたりする。)じゃんじゃん融合すればいい。新しい事を始めることは、それ程難しい事じゃない。関係性などを維持し続けるのが難しいだけである。今は、ちょっとずつ融合して、そのあと崩壊すればいい。そしてまたくっつくその繰り返しでしかない。結んで開いて、手を打って、結んで。手を止めたら、遊びは終わる。