旧劇団スカイフィッシュ/適切な距離

場所:ウイングフィールド

役者と演出家の関係性、そして地域性、つまり現状役者を大阪にて刈り集めようとしたって、なかなか大変な状況になっていて、誰が好き好んで2,3カ月も金にもならぬ「ケイコ」などに時間を奪われなければならないのか、といった問題を垣間見た。それは、今回の作品について言えることじゃなくって、同世代の演劇する人々全員に言える事で、好き好んで2,3カ月馬鹿になるためには、どういった論理で集団を縛って、どういった論理で目指すべき場所へ行こうとするのか、果ては集団心理を如何に上手く操作し、夢見心地で千秋楽を迎えるのか。といった言葉はちょっと違うか。僕も自分の集団性について最近かなり重々しく考えているので、そんな事ばかりがよぎって、なかなかするっと物語に入れなかった。検索ボタン一発の世界(本当は違う)になっているので、誘う方も弱弱しいし、誘われる方も手ごわい。そんな感じだ。
さて、今回の出演者4名とも知人で、ある程度の出自もしっている。それを考えると、観ながら本当に様々な事を考えた。もちろん、良い面もある。トイ・ガーデンの安武君は僕もぜひ一緒に芝居がしたいと思っていた。ら、小嶋氏に先に使われた。彼の風貌とスパムメールが合致しそうな雰囲気があって、面白かった。
お客さんに向かって話しかけるスタイルの芝居を見ていて思うのは、声の出自で、また出自を使ったのはたまたま面白い言葉だなともったからに過ぎないが、とにかく声がどこから聞こえてくるのか、ただ何となく独り語りをスルーしてしまっては、こういった構造のお芝居はつるんと破綻するだろう。声のする場所、声の届く範囲、そうした事をもっと考えるともっと面白くなるんじゃないか。ただ、テーマがテーマだけに、つまりリアル母子家庭な僕ら(って誰?)からすると、こういったテーマはかなり手垢がついているし、母と娘の絆みたいなものは、どーでもいーと言ってしまえる。母と娘が妄想ごっこをし始める件はとても面白かったし、安武君のツッコミも、全然上手じゃないので、それが良かった。これは褒め言葉です。(安武君の身体性の面白さは、語ればもっと長くなる。でも、今こそああいった身体の重要性は大いに語られるべきだ。これはまた今度。)