モツ、横山、甲野

▼久しぶりに遊ぶ。モツ鍋を食べてカラオケをしてみる。ミュンヘンとか借りてみる。結局見ずに帰宅後制作業務に追われる。ゴットタンのマジ歌は観る。DVDも12月に出たらしいから、どうにかして観たい。

横山裕一氏の書籍を3冊ほど注文していたのであった。というのも、佐々木敦氏が2007年のベストに選んでいたからで、ちょうど僕はこういった世界の切り取り方に注目しているからである。ざっくり切っていないように見せてざっくり切っているような方法論に今とても興味がある。しかし、僕の不在が続くので運送業者から携帯に電話ばかり入る始末。置いておいておくれよとも思うが、代引きは仕方がない。

▼ちょうどいま甲野善紀・田中聡著「身体から革命を起こす」を読んでいる。その中で命がけである事の重要性が語られている箇所がある。つまり、命がけでやれば今までの既存の方法論とは違った身体の動かし方(武術的思考)が出来るのではないかといったもの。スポーツにたとえて、スキーや自動車レースは死に直面するから技術が進歩しているが、ゴルフは命がけでないからちょっと違うといった記述がある。そこで私は少し笑ってしまった。趣旨とは違う部分で笑ってしまったのであって、話の内容には終始頷きっぱなしであったのだが、少しだけ引用する。

「しかし、ゴルフには、およそ身の安全にかかわるような事態はないわけです。それで動きの転換も生まれなかったのでしょうね。そもそも私がゴルフをみていておかしいと思うのは、ボールを見て打つということです。これから打つ先を、なぜ見ないのか。〜中略〜しかし、もし敵が攻めてきたときにゴルフ用具を武器にして対抗するしかないという状況になったとすれば、絶対に、ワーッと攻めてくる相手を見てその位置を確認しながら打つでしょう。」

私はゴルフのクラブで殴った方が良いんじゃないかと思ったけれど、文脈から考えればやはり「ワーッと攻めてくる相手」を見ながらボールを打って攻撃する、ってのが一番良いのだろう。実にはっとさせられた。なぜ私が手近なクラブでの殴打を考えてしまったかと言えば、思考が既存のシステムの中に埋没してしまっているからだと想う。軟弱な思考はいけない。命がけであれば、全然違った世界が見える。