映画の日

▼久しぶりに独りで映画を見に行く。というか、映画に行くこと自体久しぶりだった。中原昌也氏が絶賛しているらしいタランティーノデス・プルーフ』を観る。ラストのジ・エンドへの疾走感ったらない。あの早さに、私はなぜだか失禁しそうになった。びしゃーって漏らしても、The Endって出ていてくれる。そんな感じだった。グラインド・ハウスというコンセプトがあって、作品作りは進められていったのだけれど、このコンセプト先行型で作品を作った方が、頑なにならず面白いものを落とせるのかもしれない、といった事に気付いた。というか、その辺の事はずいぶん前から、お笑い系を見ていれば気付くことで、やれイズムだどうだ、と言っている間に、大事なものとの距離を感じてしまうのも確か。今季の「せりふの時代」にケラさんが『大日本人』に対して長文を書いているけれど、その辺はまたいずれ。

▼QTとRR(フリーペーパーの略し方をパクってます!)は、QTの部屋でグラインドハウスのポスターを見て、今回の創作を思い立ったのだそうだ。で、予算ないけど兎に角面白くするには、、、、と考えて。一方では車の衝突とイケテル女たち。一方はゾンビと片足がマシンガンの女。になったらしい。この過程が良い。

▼雑誌を横流ししていると、著名人がカフェに合うミュージックとか、泣ける映画とか、色々なモノを取捨選択したりしている。その人たちのセンスを問い質されているのだと思うし、実際、消費者は著名人のセンスをも貪欲に消費したがる。SNS的にいえば、その人のコミュが気になるってやつだ。実際、僕も気になった。タランティーノがホークスと言えばホークスを見た。ロドリゲスがブニュエルと言えばブニュエルを見た。そんな時代があった。それは今でもそうで、自分が信じられる人のお勧めするものは、信じて借りたり買ったりするけれど、最近はあまり頑張れていない。もっと影響の蔦みたいなものを辿って、ぐるぐる巻きになってみたい気もする。小津全集とかゆっくり見続けるバイトは無いか。夢野久作全集とかゆっくり読み解き続けるバイトは無いか。そろそろ皆さん、各自のサーフボードをメンテする必要があるんじゃないか。だから、グラインド・ハウスは出てきたのだろうと想う。といったところに落ち着くのか、これ。