南船北馬一団/ななし

精華小劇場にて観劇。初南船。作・演出の棚瀬さんがドイツ帰りなので、期待して行った。東京でリーディングしていた作品。なるほど、観念的な話だった。時間がすれ違う衣擦れみたいな音を拡声器って拡大解釈したような。昔、僕は大学の頃innocent when you dreamという、トム・ウェイツの名曲からタイトルをとった芝居を書いたことがあるけれど、この芝居を僕は思い出していた。

ある言葉を逐一定義してもしょうがないので、コロコロと言葉の周辺を役者という駒を使って遊ぶ。そんな印象を受ける。よく演劇の手法でセリフを数名の役者で分割して言う技法があるけれど、あれってどれほど有効的に機能しているのか。映画でもたまにあるし、昔NHK中野裕之がそういった実験的実写をしていたけれど、人があれを使う場合、精密度が要求されてくるんじゃないか。中途半端に言葉を2人で担当したって、それは小学生が全員一緒に卒業式で何か思い出をぽつぽつ語っているのとそう変わらないんじゃないか、とか。

京都_地点や福岡_倉地久美夫の言葉へのアプローチ、そして町田や保坂や舞城や笙野や多和田など、90年代以降顕著な現代日本文学の担い手たちの言葉・言語・文体へのアプローチなど、ランガージュの漸近線みたいなものは、いろいろある。ほんと、いろいろある、な。