義務と反復、制御されたノイズ、見世物小屋の復権

▼深夜までかかってWEBを弄ったので、朝が若干辛いと想ったが、もう夏でテーシャツで過ごせるので頗る快適。冬の思考程冴えないが、夏の思考はべったりと蔓延。久しぶりに職場に行く。これが日常か。

▼そういえば、先日見てきたSPAC「別冊 別役実−『AとBと一人の女』より」だが、劇評に関してはこちらを覗いてもらう事にして。にしても、とても良い舞台だった。鈴木忠志氏の別役氏へのリスペクトを痛い程感じた。「男と男の約束」なんて言葉を思い出してしまった。そんな低次元の作業では無いのだろうけれど、しかしそうした血みどろの汗臭さってのは、ある。良い仕事に汗は憑物だ。その公演の後の鈴木氏と宮城氏のポスト・パフォーマンス・トークの内容で、「演劇って何だ?」、といったものがあった。鈴木忠志氏は「一回性」といった言葉を強調されていて、それは義務と反復で満たされた現代を生き抜くための一つの知恵みたいなものだと、私は解釈した。一回性を求めるのは、自然の衝動であるし、人間の本能(なんてないのだが)みたいなものに、何か忠実な感じがする。今日から普通にバイトが始まるわけだが、この反復作業において、どういった一回性を僕は見つけられるのか。果敢に立ち向かいたい。

▼しかし宮城氏は切れる。感情の話ではない。とても弁論が上手だ。ギリシヤ人かと想うほど。確かチェルフィッチュが琵琶湖に来たときにも、PPTされていて、そこでも発言されていた事だけれども、「現代社会でこれほど生身の人間をまじまじと1、2時間眺め続ける事は無い」という素晴らしい言葉にはいつも胸が熱くなる。演劇への信条が強まると言うかなんというか。