辻企画/世界

噂は何度も聞いていたので、とても楽しみにして会場へ。「世界」の作品構成が一部・ニ部と判れており、一部40分、休憩10分、二部50分、合計1時間40分の芝居だった。一部・ニ部でがらりと舞台美術を変化させ、世界の明暗を提示していたように想う。一部は黒一色。両脇のアーチは、何か吐気を催させるような異型物。そして二部の世界は床一面白一色。舞台奥と両脇も白を基調としながらも、自然界山奥を表すために葉っぱや稜線らしきモノが緑色で描かれている。中央にはピクニック用のシーツ。一部と二部は、まるで内と外。羊膜から突き抜けて天国へ神様へ。愛とは、喜びとは。コトバは執拗に愛の周りを巡る。開演前の客入れ時には、机の上で何か鉛筆でごしごし描いているような音。何を描いているのだろう、と想像を巡らす。

全体的に演出がとても興味深かった。要所要所、明らかに意図的に、観客に対しての挑発的な笑いが隠されているように想った。僕独り、笑ってしまう箇所があったのだけれど、それはそれで良いと想っている。重い主題を作り手自ら茶化して、それを真剣に見ている観客さえも密かに嘲笑し俯瞰しているような空気。それは、僕的にはかなり痛快な事で、とても共感出来た。(特に二部のオープニング、開場した時点、つまり休憩時間中は、お客は移動させられるのだが、改めて開場入った時点で、ピクニックシートの上に男女が座っており、にゃーにゃーだけでHey Judeを歌っていたあの場面。あれを端折れば10分は縮まっただろうに、敢えてそれをやる姿勢に拍手。)主人公の女性は、愛を求め神様神様と連呼するが、その連呼自体、作者は馬鹿にしているのかもしれない。そのように考えると、あれはとても怖いお芝居だ。愛とは?と問いながらも、その問う姿勢に距離を置く。とても冷ややかな心象風景を見た気がした。
僕は観ていた時、役者の演技にもっと鬼気迫るものがあれば、と想いながら観ていたけれど、今考えると、あの鬼気迫り切れていない存在たちが愛の周りを蛇行する行為に本来の意図があったのかもしれない。世界とは其れ位どうしようも無く儚く脆いものでしかないと言った、現代における「個人的記憶」の喪失を嘲るマクロ的視点が提示されていたのだろう。皮肉的だが、その効果は自然と各々の心に拙くゆっくりとフィードバックされるかもしれない。開演前の客入れの音が、今まさに説得力をもち始めた。