/simpóuzim/

1 〔形式〕(聴衆の前で行う)討論[談話, 座談]会, シンポジウム.
2 〔形式〕(特定の問題の)評論集;討論会の記録.
3 (古代ギリシャ・ローマにおける)酒宴, 宴会;『饗宴』(プラトン作).

ラテン語ギリシャ語symposīon (sym-共に+pnein飲む+-sīon名詞語尾). 古代ギリシャ時代には, お互いの談合は酒をくみ交わす宴会を含んでいた』

▼というわけで、シアトリカル應典院 Space×Drama2006を締めくくるような、そんなシンポジウムがこの日行なわれた。特攻舞台Baku−団さんの公演「机上・キラー・魔神・スイッチ」後にやったので、凄くお客さんはBaku−団さんのお客さんだったと想うが、中々面白いシンポが出来たのではないだろうか。

▼Space×Drama2006参加団体の代表が一同に会して、司会清水翼で進められたこのシンポジウム。Baku−団代表の水本剛さんはブログ上で少しお怒り表明(?)していた感じだったけれど、恐らく「関西演劇界」なんて大枠で括る事はしないまでも、宇宙演劇界で括った時に、月並みな表現ですが、切磋琢磨の発端になり得るシンポだったと想う。やはり、国境も文化も線引きに過ぎないのだから、演劇界に線引きしたって誰からも怒られないだろうし、その線を目安にして飛び越えたり留まったり、「意志決定」を行なえるのだから、やっぱり線引きはそこそこ重要なんだと想う。シンポの中で印象的だった発言は、水本剛氏の「論理武装のし過ぎで本質を忘れてしまう演劇がある」(だいたいこんな内容です)と劇想空飛ぶ猫の萩原氏の「演劇は上からの命令で無く、自分の思うがままに自由に創作が出来る」(だいたいこんな内容です)の二点。劇団KusKusさんに投げられたオリジナリティの問題も凄く興味深かったのだが、代表の塩崎氏の言う「自分の生きるままに作品を提供しつづける」といった発言は、若干違うのではないかと想った。勿論、生き様を作品に出来るような生き様であればいい。しかし、平凡な生き方を平凡に提示しても、まず作品は生まれない。ドキュメンタリズムにまで話を敷衍させれば、そういった作品も無い事ないだろうし、寧ろそういった作品が多いと想うのだけれど、塩崎氏の言う「オリジナリティ」は、恐らくそういった文脈で提示されていない。僕も一アーティストとして、その「オリジナリティ」ってのを模索しながら生きていたりするけれど、そこにやっぱり意識的/無意識的「作為」は必要だろう。今、何をしても模倣になってしまうのではないか、といった話がちらりとシンポジウムで出たけれど、(複製技術時代の芸術作品byベンヤミンを清水が一瞬言及する形で)、そう時代を捉えるのであれば尚更、自己の内外を抉っていかないと、人様に見せられる作品は完成しない。僕はそう想いました。

▼しかし同時に、そういった考え方をしてみるものの、剛さんの発言が凄く気になって、そして寧ろBaku−団さんが行なっている芝居創作方法が、凄く本質に忠実なんだろうなぁ、と想ったりもして、何と無く納得がいった。ただ、自分の本質をそのまま集団の本質へ転移するのは少し怖い話で、集団におけるサディズムマゾヒズムの関係性はどうなっているんだろう、ってちょっと余計な心配をしてしまった。しかし問題を二項対立で考えても、何も解決されない時代だから、僕の心配は杞憂で終わるだけで、寧ろ正直な話、Baku−団さんの集団性は、「遊べる大人の集まり」(それは彼らがプロレス好きを公言していることからも瞭然)って感じがして、凄く羨ましかった。それに比べて、France_panは「コドモが遊べる集まり」って感じで、少し情けない。。。大人になって遊びたい。

▼そういえば、隕石少年トースターの山内氏の発言も凄く興味深かった。彼は三谷幸喜が好きで劇の世界へ飛び込んできたらしい。そのきっかけとなった作品が僕は凄く気になったけれど、山内氏の話では「古畑任三郎」と言っていたので少し驚愕。ん〜、TVっ子。彼曰く、TVの世界への憧れから戯曲(台本)を書くようになったと言っていたが、TVの台本と芝居の台本ではかなり違うと思うのだ。勿論、彼はそれを了解していると思うけれど、例えばカメラのクローズ・アップをどう舞台化させるのかとか、所謂モンタージュ効果の舞台化はただの場転なのかとか、そういった話をもっとしたかった。と言うのも、僕ももともとカメラで撮られた映像(特に映画)に凄く興味があって、悶々と舞台表現を模索していた時期があったからだ。その模索は鋭意継続中だが、やはりカメラを介した表現方法と舞台でのそれとを曖昧にしたまま舞台作品を作る事は良くないと思う。どちらの表現方法も全く同じ効果しか生み出さないのであれば、僕は演劇辞めてレンタルDVDばかりを観る。絶対に違う何かがあるのだ。世界中の人々が在宅ワークになってしまう世界を望む人などいない。(こんなことを書いていたら、以前見たEPIC2014のフラッシュムービーを思い出してしまった。あの辺の事情など、僕は全くの素人ですが、何かしら感じる事は多々あった。)

▼久しぶりに日記をたらたら書いてしまった。