移り気

▼今更言う事でも無いけれど、脚本を書くと言う行為は、物凄く集中力が必要だ。だって、小説家は本を書くために「缶詰」をする。では、劇作家は「缶詰」するだろうか。少なくとも僕はした事が無い。そしてそれがモノ悲しい。積極的に自分の家で試みようとするのだが、集中が続かない。恐らく、フレーズの構築による物語性を信じていないのだろう。僕はしばしば脚本家としての自分よりも演出家としての自分の方が好きだと公言してきた。しかし、このままでは何かつまらない。やっぱりいい作品書いてみたい。そのために僕に出来る事・・・ん〜。。。

▼戯曲塾ってものが存在する。やっぱ塾生になって学ぶべき事は多いだろう。僕も数回行こうか迷った事はある。でも、結局行かなかった。行かなかった分、自分で自分のために塾を開かないと。一人塾。文献漁ったり、死ぬほど集中したり。いっぱい戯曲を読んだり。戯曲塾行くと、毎月1本ぐらい書かされるらしい。僕もそういった試みを自分でしないとな、って思う。添削してくれる先生は一人塾にはいないので、強引にFPメンバーに読んでもらい感想を聞くのもいいかもしれない。劇作家とか小説家って、どうしても自分の世界の裡だけで物事を判断してしまう事が多々ある。そういう時に小説家だったら編集担当者とか、諸々の寛大な人々がそばにいる。僕にもそういった監視の目が必要だ。キョロキョロしている目でもいいし、じっと睨み付けるような目でもいい。自分の中に、そういった監視の目を自分で育てなければならない。自分に厳しい人間でありたい。(何て幼稚な宣言!)何かしら自分に課さないと、やっぱり甘えてしまう。中毒性の高い物質は部屋にあふれている。TVだって無料動画だってお酒だってインターネットだって、みな中毒性が高い。そこで、敢えて、自分に何を課すのか。煩悶中。(ちなみに、次回フラパン既成の戯曲に挑みますが、それは演出面では勿論、戯曲執筆面でも学ぼうとの姿勢からだったりもする。)

▼小学生を卒業する時に、僕は担任の先生にずばり言われた。「君は他人には厳しいけれど、自分には甘いね。うん。」 ・・・いやはや、慧眼。