死にフィアンセ

▼あるところから、イベント出演依頼を受ける。中々に面白そう。参加出来ると良いなぁ。

▼今日、久しぶりに本屋へ。仲俣氏の新作買おうと思ったのに、無かった。中原昌也古川日出男がよく売れていた。伊坂も大賑わいだなぁ。劇団ひとりの小説もそろそろ読みたくなってきた。白水社カフカの失踪者が変身よりも多く平積みされていた。単に失踪者の方が出たの新しいからって論理だったら、嫌だなぁ。

▼本屋にて、とある場所に佇み独り言を呟き続ける女性が居た。恐らく、何らかの障害をもった方だろう。本屋と言う極めて個的にコミットしていく空間で、誰からもコミットされる事無く、他人に聞える程度に言葉ならざる音を発している30代ぐらいの女性。もしも他人行儀に見てみぬ振りを決め込み、立ち読み続ける人々が全員発作的に声に出して本を読みだしたら。。。彼女はそういった状況に対して、どういうリアクションを取り、どんな記号を発していくのだろうか。寺山の演劇論の中で、NYには独り言を呟く人が多い、といった記述がある。(いつかの日記でも示唆したと思います。)それを思い出した。独り言が世界とどうコミットしているのか。それは精神分析の領域かもしれないが、公前と何らかの記号を果敢に発する舞台表現者たちの領域でもあるだろう。現実を単に切り取るやり方など無い。まさに、「ドキュメンタリーも嘘をつく」って事だ。そういう視点で、今日、本屋であったあの女性も大いに嘘をついていた可能性有り。これは、恐らく脚本家としての勝手な妄言かもしれないが、想像力は無限に世界を変える力を持っている。そんな記号を僕は彼女から得た。と今独り呟いてみる。