小屋入り

▼今日は小屋入り。スタッフの方々がテキパキ動いてくれるお蔭で、役者陣はふらふらとお茶会。おい、いいのかい、と思い稽古へ。ロビーで。

▼ロビーという空間。余り大きな声が出せない空間。そういった制限が、会話の間を良くしていた。しかし、それに気付いていなかった本條・大石。おいおい。そういった先日観たでしょに。

▼しかし私は自分で精神集中させる人が好きだ。何か言われてからやるでなく、いつの間にか勝手にやってる人。それもやりすぎだと腹立つのだが。。今日、嶋尾が喘ぎ声の練習を楽屋でした。KAVCが凄く昔のラブホみたいな空間になった。音は目より記憶力が良い。でも、言いたい事はそこじゃない。

▼喘ぎ声が出せない、という嶋尾に対して、僕は何を言えば良いのか非常に迷った。スタニスラフスキーの教えの中で、「海に溺れた恐怖体験を演じるために思い出すべき事は、手に絡まる藻だったりしがみついた岩の感覚だ」てな事があるけれど、(ちなみにこれ、唐十郎が言っていて僕も改めて了解したのだけれど)、この感覚で嶋尾に対して、喘ぎ声を出すために男の爪の具合を思い出せだとか、太腿に当たる足の感覚を想起せよ!、とはウブな僕は言えなかった。抽象的な言葉で、「あの夏を思い出せ」とはいったけれど、こっちの方がセクハラだと皆になじられた。

▼そんな時、本條が嶋尾への対策として、ずっと嶋尾の太腿を揉むという荒業に出た。俺がすればよかった、とかそんな考えも巡ったが、やっぱり実感は強いな。僕もよく、怒れない/泣けない役者に対して、2時間ぐらいゴミ袋被せたりする。鬱になるわ、と思うかもしれんけど、鬱になりゃーいい。薄っぺらい自己をそのまま肯定するならそれで言い。だって、大声で芝居恥かしいしね。嘘ついて、鍍金守っても、しょうもない。でも、声出したいなら、とりあえず脱いでよ。嫌なら、僕がそれ剥す。とか思ったり。(でも、これ実は超危険なことで、役者改革って正味人格改造に近いので、要注意。精神科医へ患者が愛着を持ってしまうことを転移とも言いますが、この場合演出家と役者の関係においても、そんな転移が色々とやっかいな事になってるのじゃないだろうか。) うにゅうにゅ。

▼では、明日会場で。お足元悪い中だったら、雨ん。児ー座主苦来守徒。