図書館の本に線を引く人が嫌いだ

よく図書館で本を借りる。そして、その時私はレンタルビデオを借りる時には感じられない、人の温もりを感じる。どうしてだろう?
基本的に図書館に置いてある本は一種一品のみだ。同じ本が何冊も置いてある図書館は比較的少ない。つまり、例えば、私が「ノルウェイの森 上巻」を借りてしまえば、そこには「ノルウェイの森 上巻」は無い。この一対一の関係性に私は惹かれているのかもしれない。
思えば、私が小学生の頃、図書館に置いてある本の後ろには、「貸し出しカード」なるものがあり、「誰がいつどれくらいの期間」その本を借りたのかが堂々明記してあった。これはちょっとした事である。ある意味かなり画期的だ。よくよく考えれば、意味がわからない。
しかしこの仕組みをレンタルビデオに応用したら、図書館の本以上に大変な事態になるだろう。それはアダルトビデオに関しては勿論の事、猟奇的サスペンスを憧れのあの子が!!とか、あんなに温厚な児童が自然災害系アクションを!!とか、リストラされた父さんが退屈なコメディばかり!!、といった状況も生み出し兼ねない。これはつまり、人の生活の一部を覗き観る事であるが、これが道徳的に良い事なのかどうなのか。ある一定の尺度で持って行なわれるのならば、セミ・ドキュメンタリな様相を呈して、それを見る側、窃視者(と言っても過言なかろう)に良い影響を与える気もする。
こういった事柄に関する素晴らしい映画がジム・キャリー主演であったけれども、アートする人たちは、覗かれる立場として、覗くに足るモノを作れるかどうか。てな事を、「図書館の本に線を引く人は嫌いだ」と思いながら、綴ってみた。

追記:時に、線引きされた本を読む事を好む人がいるが、あれは教鞭臭がして、私は余り好きではない。著者本人による線引きであれば、多少納得はいくけれど、図書館の本や古本などにされた借りた人(過去の所有者)からの線引きは、なんだか部外者による劣悪な説法にしか見えないので、私は好きではない。ただ一度、購入した古本に押し花がされていた事があった。不思議な邂逅感。いとおかし。