羅針盤/むすび

羅針盤は一回聴くだけだと、放たれる言葉の意味をそれ程ロジカルに深く理解出来ないと僕は想う。因果律を追って深く理解する必要性なんて全くないし、その必要性を感じさせ無いほど山本精一の声は澄んでいる。全体的な音は澄みつつも淀んだりするので、それはまるで此岸で聴き入っていたと想ったら一気に彼岸に連れてかれるような感覚。「むすび」の音は、ある全的なイメージを提示するのみで、自ら深入りする意思は必要ない。聞かなくても聴かされた状態になる。
で、聴かされちゃってる僕は、ついに言葉の繋がり(それは曲の持つ物語性と言ってもいい)を求め始めた。じっくり何度も聴き始めるうちに、ふと「なにもな〜いなにもな〜い」と唄っていた山本精一の感度絶好調、ずば抜けた言葉のセンスを再認識する事になる。いや、勿論過去の弾き語りにも彼の言葉のセンスは感じられたし、実際過去の作品からも彼のとんでもないセンスは、誰しもが認めるところのはずだが、僕はぶっちゃけて言ってしまうと、いわゆるワンセンテンスで勝負してるんじゃないか?、と想っていたのだ。言霊の持久力とでも呼ぼうか、「みず」と言えばセンス的に大丈夫、みたいな。巧みな言葉の選択は淀んだ世界を洗濯するようなもので、100円玉二枚入れれば洗えるようなんだよ、ちぇっ、逆に言えばそれだけ言霊は強いんだ、コピーライターめ、そんな安易さを羅針盤に対して感じていた僕。この疑心は、山本精一の著書(レア)を読んだ事が無いことから来ているのかもしれない。で、改めて言葉のみに耳を傾ける。歌詞カードを見てみる。

結論。「砂場」は泣ける。ちょっと引用して、おやすみなさい。


 遊びで生まれてきたら 遊びで生きてゆけたら
 ひとりで全て終えたら こぼれるようになくした
いつまでまだ子供でいる よごれた日陰のなかへ
いつまでまだ子供でいる  渦巻く悪意の外で