怒ってみろ

最近、真剣に怒った人を見たのはいつだろうか。

キャバクラ潜入バイト(給与明細!?)の時、社員さん二人が厨房で真剣に殴り合っていたのを見たのが最後だと想う。すぐに厨房担当の子らが止めに入った。私はびくびくしながらも、アイス補充。ガランゴシャンガラン。お客さんがキープしてたボトルが何本か割れた。いっぱい殴られていた方の人が、私にこっそり呟いた。

「そこにある、空き瓶、どれでもいいから、取ってや。」

久しぶりにリアルなセリフだった。私は色んな意味で戦慄した。
きっぱりと、無理です、と答えたけれど。

中々気持ち良く怒りづらい時代だ。気持ち良く怒るってのも、何だかシュールだけれど。しかし役者って本当に大変だと想う。(何だ役者論かよ、とか思わず)。楽器演奏者なら楽器を壊して怒りを表現出来る。じゃ、役者は楽器の代わりに何を壊すのだろう。別に壊す事だけが怒りの表現ではないから、「壊す」という言葉は誤解を招くだろう。僕が言いたいのは、何かを壊す気持ちがなければ、本当の意味で試行錯誤しているとは言えないんじゃないだろうかって事。「壊す」を「越える」と捉えてもいい。現代人は厚化粧過ぎるから。

物質として直接的に扱うモノが殆ど無い役者は、表現媒体が自分自身でしかない。どこまで自分を突き詰められるのか。どこまで上塗り出来るのか。どこまで彫り下げれるのか。グランド・ゼロへ回帰しなければ、永遠に騙され続ける時代なのだ。

絵画の歴史を紐解けば、色々なイズムがあった。

とりあえず、怒ってみろ。騙るのはそれからでも遅くない。