最近のこと

▼腰痛になったので鍼灸院に行ったら庭に神社がついている感じの鍼灸院で怖いながらにドキドキした。針を神経に刺しているのかと問えば「経絡です」と言われて数秒後に僕はヒデブとか言ってるのかなぁと思ったら言ってなかった。腰痛は治りつつあって、今日久しぶりに自転車に乗ったら途中で天気雨になった。

▼ここにあんまりかいてないけれど、スペースドラマの劇評ブログがすこぶる面白くて、特に地底人の声と三田村の声とべかお君の声とアラザルの人の声が面白いように感じる。劇評を通じて見えてくるのはその作品以上にその劇評者の顔だ。インディペンデントシアターの企画に乗っていたので、僕とはまた違うジャンルだろう創作者の人と話す機会が何度かあって、そこで劇評ブログ的なことを言ってみたのだけれど、何故かあまり受けが悪くって、「劇評なんて僕たちが書く資格あるんだろうか」とか「劇評ブログってのは誰に向けて書くのだろうか」といった声が聞こえてきたんだけれど、それは英語で言えば、it's a pityって感じで、英語で言う必要も無いのだけれど、今日たまたま話していたフランス人がこの表現を何度か使っていて、pityって言葉に滲む話者と対象者とのヒエラルキーみたいなものが薄らと見え隠れする感じが面白いと思った。回りくどく言ってしまったけれど、つまり劇評を不要と考えているアーティストは、自分たちこそが自分の作品を正当に評価出来ているという思い上がりをしているのか、それとも単純に人様にあーだこーだ言うのが怖いのか、なんなんだろう。ま、確かに批評とディスは違う訳で、でも少なからず思ったことをそのまま言えないってのは、本当に嫌なことだなぁって思う。

▼思ったことをそのまま書くってのは、本当はとても難しいことだけれど、愚直にそれをやってしまえると思った時にそれを実践している人が他人から馬鹿だと思われる可能性は高い。少なからず口語を書き写す行為をしている時点で、何らかの距離が言葉と脳みそに生まれて、その距離は伸縮する場合もあるにはせよ、距離を取る遊戯を楽しめない人の場合、「いーね」とか「いやなだなぁー」とか、俗にいう感想文みたいなアホみたいな文章ばっかりになるってのも怖いけれども。(でも、これただの感想文でしかないんですが、って免罪符はもうおしまいにして下さい、少なくとも作り手である自分を自覚するのであればって思う。)

▼シュバンクマイエルの展示行った時に原画ってやっぱ面白いと思ったけれどそれが不可触であるために生殺しで焦らされてる感じがあった。なぜならばミクスドメディアだから。視覚で触覚を感じるってのはどういうことだろうかと思いながら人間椅子のパラパラ漫画するんだけれど、そのパラパラ漫画はプラスティックでラミネートされているからその触感が描かれている世界観と全然違うから少しの吐き気。東京ではWWフェスと原美術館とサイレントナレーターと上野科学博物館に行った。アゴラにいなかった時は上記の場所をうろちょろしていたという訳です、すみません。でも今更ながらアトミックサイトにいけばよかったなぜその情報を知らなかったんだろうって悔やんでもしょうがない。

▼マレビトの総集編とデスロックも観劇。デスロックのアフタートークに出たかったなぁやっぱり、とか今更ながらに悔やんでもしょうがない。再/生を観て思ったのは雄弁さとはあちらからやってくるのか、こちらからやってくるのか、といったこと。マレビトの場合とデスロックの場合の、雄弁さ、の違いを考えると面白いんじゃないかと思った。しかしどちらの作品も上演時間の制限があって、僕は芝居を見ている途中で今何分経ったのだろうと確認する癖が最近少しだけあるんだけれど、それは残念な癖だと自分でわかってはいるものの、ま兎に角デスロックのラストの再生が3回がまぁ3回ぐらいかなと思ってみていたんだけれど俳優の人は盲目的に繰り返しを行なっている訳で、嘘つけないのは呼吸によって動く胸の上下運動だけ(のように感じて)、そこにしかリアルを感じられない/感じようとしない自分を責めながら観ている構図が面白かった。(あでも、動きと動きの間の呆然としている様にはオンとオフの狭間があった。ということを以下マレビトについて書いていた時に思い出したのでここに書き足す。)マレビトの場合、18時近くになって俳優が少しずつ少なくなって演出助手が「終わりです」というんだけれど、終演後に虹見さんと少し話す機会があって、オフの状態の虹見さんを観ていたら、個人として話している虹見さんが勿論いたのだけれど、それを観ているのが何となく嫌でその旨を軽く口にした時に、サービス精神だろうか虹見さんが虹見さんっぽく「こんにちは」だかなんだか僕に言ってきてくれて、その時頭がクラクラしてしまった。そのクラクラ感は、上演時間とかそういったものと全く関係ないところで起こったことではなくて、一定の期間を得て終わっていると双方に理解し合った上で、オフとオンが反転しているというか、そういった状態で、松田さんが意図していない時間に起こったことにせよ、僕が一番魂消たのはそのシーンだった。