カフェで会議

▼カフェでFP会議をした。しかし、あれでよかったのだろうか。と思わなくも無い。ひとまず大幅な赤字をちょっとずつ返すことは間違いないのだけれど。集団の成り立ち方に、やはり大いに悩む。表現欲求と集団の維持みたいなものは、かなり矛盾している。ある表現へとことん突き進むならば、理解者は減る可能性が高い。その時に必要になるのが、ある種の絶対の信頼とある種の中途半端さ。なのかな、とも思う。絶対の信頼がなければ、進めないベクトルがある。私は俳優とアーティスト同士としてクリエーションがしたい。無から何かを立ち上げるクリエーションにつきあえる人と、土台が無いとそんなの無理だって人といると思う。土台が、自分の身体や意識にあれば、脚本が無かろうが、美術がなかろうが、なんだってできる。その意識からはじめたい。アートって技芸でもあって、俳優にとっての資産は意識と身体だろうから。そういった資産が言葉に翻訳されてる必要は無いかもだけど、そういった資産はどこかで滲むものだとも思う。理想と現実が噛み合う、もしくは全く噛み合わず顎が外れる。それさえも意図的に。丈夫な顎が欲しい。