1ヶ月以上更新しなかったら、仕様が色々違う。

▼久しぶりの更新です。こんばんは。僕は元気です。KUNIO杉原君に見習ってジムに行こうと思っています。何故ならいい加減小太りの状態が続くからです。こういったことはツイッターではつぶやけない。ここで書くのはつぶやきってよりか、語りであり騙りである。しかし残念かな嘘じゃないのだ、ジムに行こう! 先日体験入店、それは風俗か、体験できるやつで、1日だけ行って来た。意外に面白かった。というか、僕はスポーツが好きなんだ。これは嘘じゃない。

▼僕の身体的特徴はどうでもいい。ひとまず新作「ありきたりな生活」の稽古についてちょっと書いてみたい。最近、全然お芝居をしようという意欲がなくなっていて、これはいかん、と自分で心配している。まぁ、本番が近づけば何らかの形にするんだけれど、稽古というものについて、色々考えてしまっている。「稽古して上手くなる」って何だよ、って最近思っている。上手いっていう基準がもう、悪の権化のように感じている。だから、「上手くやって」みたいなバカみたいなことは全然言わない。また同時に、有る一定の方向性へ俳優を導くこともびくびくしてしまう。俳優を一方向に持ち込む事は、なんつーか、亭主関白な感じがする。煮れば煮るほど美味くなる。ってのは逆いってるみたいだけど、信じてるので、いろいろな方向での調理はするんだけれども。今回新しく一緒にやる5名の方々が面白すぎて、色々悩んでいるだけなのであるとは思うのだけれども。戯曲読むとか、面白いですか? 戯曲なんてものは、踏み絵でしょ、あれは。(勿論、ドラマの必要性は、ポストドラマ演劇byハンスティーレーマン、にも書かれてるので重々承知はしているものの)

▼僕に取って、戯曲とか台本は、俳優の身体と意識を動かす上での最初の第一歩のハウツー本だろ、ぐらいの意識しか無くなってきた。だから、戯曲なんてモノはびりびりに結果的に破いたって良いし、どうだっていい。楽譜は書くけれど、俳優のモード奏法を期待するというか。だからいろいろな遊びをして、モード奏法ができるアーティストを育てているのか。書きながら自分で理解しつつある自分がいるなぁ。といった事で今日は疲れたので、ビール飲んで寝ます。おやすみなさい。

追記 今週末、サインして貰おうかな。。。来るのは、polwechselですが。しかし、本当は、宇波さんのHOSEが一番楽しみなのです。ここだけの話、宇波さんの活動は刮目すべきです。