1日30分が、何だというのだ

ワンルームマンションの発達は、手近な肉感的コミュニティを(ある意味)壊した。携帯電話の発達は個人発信コミュニティを誘発した。そのバランスは、今や崩れっぱなしだ。人は、オンライン上に隠れ、わがまま放題である。「自由」を「選択」してるのだと勘違いしている。一番都合の良い理に適った「選択」をしたと思い込んでいる人は、往々にして大雑把な「逃避」をしているに過ぎない。近道ばかりでは、本質は見えないのだ。遠回りしてこそ、本質が見えることもある。本来、人と関係を持つとは、七面倒な事であった。それを、個人が電話番号なりE-mailアドレスなんて持ち始めたから、大事な事を忘れ、遊びほうけているのだ。だからこそ私が提唱したいのが、「1日30分が何だというのだ理論」である。(この逆の理論に「同じ家に住んでバイトも辞めて頑張ろうぜ理論」もあるが、これに当てはまる人は少ない。)

▼1日30分だけ人との連絡事項に没頭する。それがもたらす効果は絶大だ。もちろん、一人になりたい時間もあるだろう。3時間を1人の時間に充てるとしよう。その中から、30分で良いから、人との連絡時間に充ててみろ、と言いたい。今更ながら、あの人のあの言葉が、強烈に思い出される。あの人は、実に頭が良い。良すぎる。とりあえず、外、突っ走ろうか。