空の驛舎/空の驛舎

第3回かながわ戯曲賞最優秀賞を受賞している作品。団体の名前にもなっている。ちなみに、かながわ戯曲賞の審査員には、宮沢章夫氏も名を連ねている。日記検索したら、当時の記述も見つかった。面白く読んだ。そして、空さん主宰の中村さんの日記など読みながら、中村さんの嗜好を調べてから鑑賞に望む。
時間がバラバラになっていて、それをタペストリーのようにした作品。冒頭シーンの手話には心底感動。何だろう、あの静謐さ。戯曲賞取っている作品で手話のシーンが良かったと言うのは、失礼なのかもしれないけれど、役者が無音のまま佇み、何か手を動かしているというのは、観ているだけでとても綺麗だし、その無音から意味を汲み取ろうとする観客側の集中にもびっくりさせられた。無理に言葉を連ねるよりも、ただいるだけで、人はそこに意味を読み込もうとする。特にそれが、自分の五感では得られないような、特化した機能を持っている対象者に対しては、より一層深く何かを感じ取ろうとしてしまうのだろう。恐らくこれは、知的好奇心だと想う。綺麗なものに対する知的好奇心。卑近な例かもしれないが、乙武洋匡ホーキング青山の顔を入れ替えた場合、人はどちらの発言に本当の意味で共感するか。あまりに卑近過ぎて、出題した僕も何だかわからなくなってきたが、今はとりあえず話をお芝居に戻そう。
前半、主人公の人のおいてけぼり感が僕にはとてもおかしく思えて、何度も微笑しそうになった。もしかしたら、この見方は間違っているのかもしれないけれど、お父さんがテントの周囲に敢えて溝を掘らないと豪語するシーンや、突然主人公の人が「先生」と呼びかけられるシーンなどは、やはりくすくす笑って観た方が、随分と想像力の飛翔に役立つだろう。笑いを禁じ、敢えて重く深く観ようとすれば、細部にまで過剰に目が行ってしまい、最終的に本質を見落としてしまう事がある。
印象に残ったセリフ⇒「死んだ後、考えすぎるとお化けになる」