ぼーっとする

▼ぼーっとしようと思って、ぼーっとしていた。公演終了後は基本的に、本当は、一週間くらい一人でぼーっとしていたい。なかなか現実レベルで考えると、それは無理な話で、今日早速一通FPメンバーからメールが来た。ちょっと、ぼーっとしていたかったので、メール返信していない。許して下さい。

▼ぼーっとするためにブックオフへ。すると天久聖一『ドムーン』と会田誠『ミュータント花子』がどちらも100円で売っているじゃないか!!!破格過ぎるぞでもラッキー、と早速購入。ぼーっとするために近くのモスへ。ぼーっと抹茶シェイク。ぼーっとドムーン。ついでにぼーっとミュータント花子。帰宅後はぼーっと焼きうどん。今はビール呑んでます。

▼しかし今回の作品、再演ってのもあったけれど、なかなか難しかったです。特に、フラパン新規メンバーとの感覚のすり合せが一番難しかった。それは今後の新生France_panの一番の課題になるだろうけれど、集団性の強化が急務だと感じた。とりあえず、定期的に寄り添っていかないと難しい。打上で永見と話している時に、エゴイズムという言葉を彼から聞いた。オールドファッションドラブ、懐かしいと思った。しかし今エゴイズムという言葉を肯定的に使う文脈に何か新しさを感じた(絶対彼は無意識だろうが)。でもしかし、これって結局、集団作業としての演劇と新興宗教との境界線キワキワな話じゃないだろうか、とも思った。エゴ丸出しの役者の演技は観ていて大層つまらない。何か古典的な話で地球の上に亀がいて、その上に鷹がいて、その上に何かまた動物がいて、というような例え話が確かあるけれど(すごく曖昧な記憶ですみません)、人のエゴなんてたいした事無いし、役者はみんな嘘つきだし、自分大好き人間はわかるが、どこまで自己の支配権を握っているのか、そんなものちっとも握っていないのだよ、と思うところから始まらないとストイックに自分を削っていかないし、いつまでたっても表現者としては遠回りでしかないのだろうと思った。アートやる人間で反骨精神持ってないと嘘だろうと思う。やっぱ隣の芝はすごく青くみえるべきだ。そこのところは正直であっていい。(ちっとも青く見えない芝もあるだろうけれど。)

▼打上に音響さん・照明さんが来れなかった。二人とも滅茶苦茶お世話になったので、是非呑みたかった。案の定オールしたけれど、僕は朝までI兄貴と諸諸話してました。貴重な話も聞けました。

▼今回、舞台監督の通称ヒゲさんには本当に感動的なぐらいお世話になった。本番でも僕は役者にキレたりするので、ヒゲさんはその場の雰囲気を和やかにして下さったし、僕が演出家に徹しれるよう、色々我侭も聞いて頂いた。こんな個人のブログ上ですが、感謝申し上げます。有難うございました。