トラックの背中、うわーい

▼朝方まで起きている。人の日記を読む。うちの役者、神藤恭平が畏れ多い事に、平田オリザ氏に話し掛けている。正直、笑った。http://diarynote.jp/d/62030/20060326.html

▼朝方まで起きている。人の日記を読む。最近、東へ飛んでった、そしてフラパンが次ぎ参加するチラシの原画を描いて貰ったぎーぎーぱー君が、多分誰かの本から引用であるだろうけれど、すげー素敵な文章を其処に書いている。正直、泣いた。http://ameblo.jp/guiguipaa/entry-10011095143.html

▼朝方まで起きている。色々と考えている。完全と不完全について。そして過去を振り返るという意味を。20代にして振り返っていいものだろうか。翔君よ。もっと余裕を持とうぜ、余生楽しもうぜ。とか冗談交じりに語っているが、結構彼のブログはコントラヴァーシャル。斜めから視られているのだぞ。わー。貝のように閉じこもるか、なんなら貝を食って欲しい。(身内爆笑、同意)
▼私は人生を、そして人間をインパーフェクトなものだと信じる。偶然の産物だと考える。パーフェクトに僕という精子を血縁父が放ち、血縁母の卵子にどきゅんと入ったとは思わない。偶然、私は生まれた。(その偶然が泣けるのだが)。それに酷だけれど、今の関係性(団体、恋愛、友情、親類、諸々)だって、インパーフェクトに偶然生まれた。パーフェクトだと感じるには、もっと視野を狭めないといけないし、きっとそれは息苦しい。残りどれだけ生きれるか判らないけれど、今の状況を完全に満足するってのは、今この瞬間より先に流れている時間に対して申し訳無い気がする。てかそれは僕的につまらない。昨日より今日今日より明日的な恥ずかしい思考だけれど。だって人はいつか死ぬ。それが僕の中で根底にある。有限の時が惜しい。僕は死ぬのが怖い。そりゃ怖い。小さい頃、母が死ぬ事ばかり考えて独り隠れて大泣きしてたよ、そりゃ。でも、死ぬ事を受け入れてないわけじゃない。寧ろ、死ぬからこそ、みたいな不埒な生き方をしている。
▼これは僕の逃げ腰なのかもしれない。責任感が無いのか僕は。過去を振り返るのが怖いのか僕は。はいそうです。きっとそうです。だって過去とか嫌いだ。紛れもない事実とかも嫌いだ。一番好きなモノは?とかも嫌いだ。今この瞬間一番好きなモノは、という問いなら答えられる。でも、相対的にアイデンティティを規定確定するのは疲れる。全能感を感じるのは、赤ちゃん時代だけで十分じゃないか。風俗でも言って仮想の全能感を持つ方が何百倍もましだ。鏡はどこいった。カリソメを楽しむだけの余裕が無くなったと考えればよいのだろうか。卒業文集的な意味合いだと信じて僕は耐えながら楽しみながらだけれど。仕事がめちゃ心亡しいのかしら。
総体をなし崩し的に論じられる事で、座主は何を決断/結団するのか。その一点が主観的に、さらには客観的に楽しみだ。ま、僕は風来坊ですがね。だから答えは風の中と。
けど、ただぼーっとしてるわけじゃなくって、とりえあず風を吹かせる努力はするけど。敢えて厚着したり。敢えて風鈴吊ってみたり。
風さえ吹けば、何とかなります。窓、開けてますか?